日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]私達人間は何で存在するのか ~初めての方向け~

野々川 康弘伝道師
2014年5月21日
創世記1章27節

 私は赤羽教会の伝道師をさせて頂いております野々川康弘と申します。皆様はうそ偽りなく、自分を価値ある存在だと心から胸をはって言えるでしょうか?

「正直にいうと、私は能力もなく、ましてや権力や地位などもなく、自分が無価値な存在のように感じていいます。」と心で感じてしまっては無いでしょうか。人は能力や権力が自分に無いことが不安だったりするものです。それは、能力や権力が無いと、自分を支えることの出来るものが無いように感じてしまうからです。聖書によれば、人は神という存在よりも、神のような能力や権力を欲し、神に背いたことを指摘しています。神に背くということが、実は聖書でいう罪なのです。その罪のため、人間は本当の心の支えを失ってしまいました。

心理学で「価値のグリッド手法」というものがあります。そこで言われていることは、今の自分がどのような権力を持っており、どのような能力を持っているのかということから自分の価値を見出そうとすると、人は心に平安を持てなくなるということです。何故なら、それらを失わないようにしなければならないというプレッシャーの中で生きていなければならなくなるからです。しかし、自分が一体何者であるかということから自分の価値を見出すならば、一定の安心感を心に抱くことが出来ます。それは、能力や権力によって自分という存在が左右されることがなくなるからです。

自分が一体何者であるか。私達人間は偶然に生まれてきた存在なのか、それともそうではなく、誰かに目的を持って造られこの世に生を受けた者であるのか。その答えが実は聖書にあります。聖書の創世記1章27節を見ますと、「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって人を創造された。男と女に創造された。」と記されています。私達一人一人が神に似せて創造された存在であり、目的を持って神に造られた存在であるとするならば、一人一人は他者と比べられぬ存在であり、一人一人が高価で尊い存在なのです。自分に能力や権力が有ることに平安を見出すのではなく、神に生かされていることに、神が与えて下さった人々に生かされていることに平安を見出してみてはいかがでしょうか?赤羽教会は、神と神にある兄弟姉妹との関わりを大切にしながら歩んでいます。是非一度、私達の交わりに参加してみて下さい。お待ちしています。

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