日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]まことの光に照らされる

大友英樹牧師
2017年12月26日
ヨハネによる福音書1:1~13

『まことの光に照らされる』 ヨハネ1113  20171224 

 

LEDが実用化されるようになって、イルミネーションが多彩な光で輝くようになりました。イルミネーションが光りはじめると、町ゆく人々もクリスマスが近づいてきたのだなと思うのではないかと思います。教会のイルミネーションは夜にならないとよくわかりませんから御覧になった方は少ないかと思います。キリストの誕生を告げる星が光り輝いていて、その光が降り注いでいます。 

青山学院大学のチャプレンの先生が、学生向けに書いている文章に目がとまりました。このような文章です。「青山学院のクリスマス・ツリーは街中のイルミネーションとは異なります。私たちのツリーは雰囲気作りをしているのではありません。デコレーションをしているのでもありません。〈光の降誕〉というメッセージを伝えようとしているのです。あのツリー自体が、大切な学院のキリスト教教育の教材でありメッセージそのものです」と書いています。 

さらに続けて、学生たちから質問があったと書いています。「昨年、ある学生たちから質問がありました。せっかくのクリスマスをキャンパスでもっと華やかに祝ってはどうか、周りの木々にも電飾をつけて…という質問と提案でした。キャンパスづくりを考えようという積極的な発案を嬉しく思いましたが、私はこの学生たちに文書で次のように説明(回答)しました」。青山学院のキャンパスは、テレビでも映される表参道とか青山通りという素敵なイルミネーションが光っている地域にあります。キャンパスに入ると、きっと周辺に比べると地味なイルミネーションなので、もっと華やかにしてはどうかという学生の意見です。 

チャプレンが回答は次のようでした。〈点火祭で灯す光は、聖書からのメッセージ、すなわち暗闇の中に光として誕生するイエス・キリスト、そしてこのキリストによってもたらされる希望の約束を暗示するものであって、街中のイルミネーションとはまったく異なる宗教的意味合いが深く込められています。そのため学院では、クリスマス・ツリーそのものも、明るさや色合いのトーンをあえて抑えて、最上部の星だけがくっきり目立つように工夫しています。ぜひ青山学院が大切にしてきた信仰と伝統に触れ、本来のクリスマスの迎え方・祝い方を学んでみてください。〉この学生たちは、大変感動してよく理解を示してくれました。周りが暗いことの意味、最上段の星(スター)がもっとも輝いていなければならないことの大切さについて学んでくれました」。 

イルミネーションには宗教的な意味合いがある。それが青山学院の信仰と伝統で、本来のクリスマスの祝い方なのです。とても考えさせる内容だなと思いました。 

 

クリスマスの出来事は光の到来です。ヨハネ福音書は1:1からのところで、言という表現でイエスさまを証しします。《言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった》。イエスさまは言であるだけでなく光です。人間を照らす光です。クリスマスのイルミネーションは、そのツリーの上に輝く星は、人間を照らす光であるイエスさまを指し示します。そのイエスさまがお出でくださった。お生まれくださった。この世界に来てくださった。それが光の到来です。9節にそのように書いてあります。《その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである》。 

 

イエスさまがお生まれになったとき、東から博士たちが礼拝をささげるためにやってきました。ユダヤの王であるヘロデに「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」と尋ねます。そのときに博士たちは「わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と言っています。光り輝く星がイエスさまのしるしでした。夜空には多くの星が輝いています。その中でその星の輝きがしるしであると博士たちは察知したというわけです。博士たちの経験は、星という小さな光かもしれませんが、特別な星の光に照らされる経験です。 

ベツレヘムの郊外で野宿をしていた羊飼いたちが見た光は、彼らの周りを照らす天使たちにあらわれている主の栄光でした。天使たちは神さまの仕える者たちですから、光り輝くイエスさまが御姿を照らし出すようにして、羊飼いたちをスポットライトで照らすように照らします。羊飼いたちの経験は、天使たちが反映しているイエスさまの光に照らされる経験です。 

博士たちや羊飼いたちの経験した光に照らされるという経験、それをヨハネは《その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである》と語ります。イエスさまはまことの光です。すべての人を照らしてくださいます。わたしも、あなたも、漏れることなくイエスさまの光に照らされています。イエスさまはどのようにわたしを照らされているのでしょうか。イエスさまが照らしてくださるということは、天使たちが羊飼いたちに照らすだけでなくて語りかけられたように語ってくださることです。どのように語ってくださるのでしょうか。イエスさまは《聖書はわたしについて証しをする》と言われます。わたしたちが聖書を読み始めるときに、イエスさまという光に照らされ始めます。 

昨年のクリスマスのときにもお話ししましたが、イエスさまという光に照らされる時、聖書を読み始めるとき、人間の本当の姿、わたしの本当の姿を照らします。ふだんは気づかないものですし、見ることもできませんが、部屋の中には塵が舞っています。しかしその部屋が強い光に照らされるとき、その部屋の本当の姿が現れます。綺麗に掃除がされ、整頓されている部屋ですが、本当はその部屋には塵が舞っている。わたしたちの目は、ふだんはそれを見ることはありませんが、光が射し込むと見ることができる。そのとき本当の部屋の姿を見ることができます。 

イエスさまという光は、本当のわたしの姿を明らかにします。部屋の中に塵が舞っているように、わたし自身のうちに普段は見えないものがある。聖書はその塵にあたるのが、わたしの内の罪というものだと言います。しかし罪というのは、塵のような物体ではありません。神さまとの関係です。神さまとの関係が切れている。離れている。背を向けている。無視している。いらないと思っている。そういう神さまと関係が、聖書が罪と呼ぶものです。光が射すところに部屋の舞う塵が見えて本当の部屋の姿が明らかになるとように、わたしの本当の姿、罪の姿が明らかになる。 

イエスさまがお出でくださったのは、そんなわたしたちの罪を赦してくださるためです。わたしたちの罪の身代わりの十字架に死んでくださるためにおいでくだいました。クリスマスはイエスさまがわたしの本当の姿を照らしてくださって、わたしの罪の身代わりに十字架に死んでくださるために来てくださったゆえに、喜ばしい、祝うべき、賛美に満ちた日です。 

《その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである》。あなたはイエスさまという光に照らされていますか。本当の自分の姿が照らされていますか。

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