日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]真心と純潔

大友英樹牧師
2018年11月22日
Ⅱコリント11:1~6

パウロは伝道の実りとしてイエスさまを信じて救われた者たち、ここでは直接にはコリント教会に加わっているクリスチャンたちになりますが、彼らにたいして語りかけています。2節《あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです》。あなたがたはキリストと婚約しているのです。一人の夫であるキリストと婚約を結ばせる。福音を宣べ伝えたパウロと婚約するのではなくて、パウロが宣べ伝えたキリストと婚約する。クリスチャンというのは、キリストと婚約した者であるというのです。

イエスさまはマタイ25章の天国、神の国を譬えるために10人のおとめのたとえ話をされました。花婿を迎える5人の賢いおとめと5人の愚かなおとめです。花婿がやって来た時に灯火をつけて迎えることができるかどうか。花婿の来るのを目を覚まして待っていなさい。花婿が来られるとき、それは花婿なるイエスさまが再びおいでになるとき、再臨のときを待つということです。それゆえにわたしたちクリスチャンというものは、救われてイエスさまと婚約させていただいて、やがて結婚の時、イエスさまが再びお出でになる再臨の時を待ち望みながら、それを目指しながら信仰の生涯を歩んでいくのです。結婚の日、そのとき婚約が成就する喜びの日であるように、そのとき救いが完成する喜びの日です。大事なのは、婚約した花婿イエスさまと結婚することです。地上の信仰の歩みにあっては、婚約した花婿がどういうイエスさまなのかをきちんと見つめながら、そこから離れないで結婚に備えることになります。

しかしパウロには一つの心配がありました。3節《ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています》。創世記3章にある蛇の誘惑から罪に落ちたことを挙げながら、誘われ、欺かれて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしますのではないかと心配しています。信仰がぶれてしまうことを心配しています。なんとか踏みとどまってはいますが安心ではありません。パウロには具体的に3つの心配がありました。4節《なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです》。

まず第1の心配は、異なったイエスの宣べ伝えということです。この異なったイエスとはどういうものなのかについては、新約学者の間でも意見が分かれるところがあります。ある人はユダヤ教化されたイエス理解である、ある人はグノーシス思想の影響を受けたイエス理解である、ある人は神性だけを強調して人間性を認めないイエス理解というようなものを挙げています。わたしたちが注目したいのは、2節で「キリストに献げたのです」と言っていますが、ここでは「異なったイエスを宣べ伝えている」と言っていることです。イエスというのは固有の名前です。イエスさまがお生まれになったときに名付けられた名前です。イエスさまが確かにお生まれになった。人間であったということです。

しかしイエスさまが人間であったと言いましても、たとえばグノーシス思想というものでは霊肉二元論ですから、聖なる神さまが汚れた人間となられるとは考えることができませんでした。ですからイエスさまはあくまでも人間であって、霊の力を特別にいただいて働いたけれども、十字架の前にはそれは取り去られてしまったので、十字架に死んだのは人間イエスに過ぎないということになります。同じイエスを宣べ伝えていても、パウロが宣べ伝えたイエスは、Ⅰコリント15章にあるようにわたしたちの罪のために十字架に死なれ、3日目に復活された神の子キリストです。一方は同じイエスを宣べ伝えていても、イエスは神でなく人間であって、神の子であってもそれは神さまに愛されたという人間であるという。同じイエスを宣べ伝えても、そのイエスは違うのです。パウロが宣べ伝えるイエスはキリスです。神が人なられたキリスト、救い主なのです。

今はグノーシス思想はありませんから、パウロの時代のように異なったイエスを宣べ伝えるということがないか言えば、決してそうは言えません。それは昔も今も変わりません。いつの時代にもキリスト教の異端というものがあります。キリスト教の異端というのは、イエスは神ではないのです。エホバの証人という異端がありますが、実に巧妙です。イエスは神が天から送られた神の子である。イエスは十字架に死なれた、罪の贖いをされた、完全な人間であるイエスの十字架によって罪が赦されたと言います。しかしイエスは神の子ですが神ではありません。神はただおひとりです。神はエホバである。だからイエスは神ではない。ですから父と子と聖霊の三位一体の神を信じることはありません。

イエスはまことの神であられ、まことの人間であられる。これが聖書のイエス理解であり、ローマ帝国のキリスト教の迫害に耐え抜いたキリスト教会が4世紀に明確にした信仰です。イエスはまことに神であり、まことに人間である。さらにわたしたちが救われるためには、イエスが神であり人間であると信じるのみならず、おひとりなる神は父と子と聖霊の三位一体の神を信じることであると告白することになります。この2つの告白に立つのか、立たないのか、それによって正しいキリスト教信仰か、異端のキリスト教信仰かが分かれます。ですからわたしたちはイエスさまと言いますが、イエスさまというときにはいつでも、「神であられるイエスさま」、「神が人となられたイエスさま」、「イエスはキリスト、神の子、救い主」という信仰を言いあらわしていることを覚えたいと思います。

 

第2の心配は、違った霊を受けることです。霊にも種々ありますから、違った霊がクリスチャンを、教会を満たしてはならないわけです。なぜ違った霊を受けることが心配なのかといいます、それが第1の心配のように異なったイエスを宣べ伝え、異なったイエスを信じるようになってしまうことと結びついているからです。聖書をよく読みますと、同じ霊といいましても、聖霊と呼ばれる神からの霊であるか、父なる神がイエスの名によって送られる弁護者、助け主なる聖霊であるか、父と御子イエスと共に礼拝される聖霊であるか、神であられる聖霊であるかどうかが重大です。パウロはⅠコリント12章3節で《聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです》と教えています。「イエスは主である」というのは、「イエスは神である、イエスは救い主である」という告白です。さきほどお話ししましたエホバの証人であれば、イエスは主と言っても、それは神ではありません。イエスは主であって神から遣わされた王としてあらゆる苦しみを終わらせるけれども、神ではありません。なぜなら違った霊を受けているからです。

またヨハネの手紙を見ますと、聖霊というのは見分ける霊である教えられます。Ⅰヨハネ4章には《愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです。イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です。かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、今や既に世に来ています  》。今も反キリストの霊がうごめいています。神からの聖霊は、わたしたちをイエスは神が人となられたキリスト、救い主との告白へと導きます。異なった霊は、そのような告白へと導きません。

あなたがイエスは神が人となられた救い主、イエスはまことの神がまことの人間となられたお方と信じることができるならば、受け入れることができるならば、あなたは神からの霊、聖霊に満たされています。いつもこの聖霊に満たされていることが重大です。違った霊に隙を与えてはなりません。神は求める者に聖霊を与えてくださいますから、朝に今日の聖霊に満たしてくださいと祈って、違った霊が入る余地がないようにさせていただきましょう。

 

最後に第3の心配は、違った福音を受けることです。異なったイエス、違った霊に覆われるならば、当然違った福音となってしまいます。それは福音とは言えないものです。ガラテヤの手紙でパウロは「こんなにも早く別の福音に乗り換えようとしていることに、あきれ果てています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではありません。キリストの福音を覆そうとしているのであって、そのような福音を宣べ伝える者は呪われるがよい」とも言っています。別の福音があるわけではありません。違った福音がわるわけではありません。福音は一つです。

コリントの手紙は新約聖書の中で最もはやく、福音というものを明らかに伝えている手紙でもあります。その御言葉をよく聞きたいと思います。Ⅰコリント15章1節からお読みします《兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。 どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです》。この福音によって救われますと宣言されています。

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