日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]一つの神の家族

大友英樹牧師
2019年1月12日
エフェソの信徒への手紙2:14-22

2019年の教会聖句は、エフェソ4:19《従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族である》であります。すでに元旦礼拝でこの教会聖句を取りあげまして、神の家族は神の前に立つ者たち、神に向き合って立っている者たちであること、それは神との和解をいただいている者たちであり、神に近づく者たちであることを学びました。神の家族は、神さまの前に立っているのであります。今日の新年礼拝では、元旦礼拝に引き続いて、神の家族は一つであるということを取りあげたいと思います。神の家族というものは、一人一人が神さまの前に立っているということが大切です。一人一人が神さまとの和解をいただいて、罪の赦しをいただいて、新しく生まれ変わらせていただくが大切です。また一人一人が神さまの前に近づいていく、礼拝をささげ、祈りをささげていくことが大切です。しかしそれはバラバラであっては困るわけです。神の家族に求められることは、一つであることです。一つの神の家族として、バラバラにではなくて神さまの前に立つことが求められます。今日の聖書の箇所は、一つということを重んじています。一つの家族ということで、3つのことが挙げられています。

まず一つめは、一つの神の家族は、一人の新しい人であります。14節から読んでみます。《実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました》。一つの神の家族は、一人の新しい人、一つの体であります。

ここの箇所はその前の箇所を受けていますから、そこを見る必要があります。エフェソの教会の人々に向かって、パウロは「あなたがたは、以前は肉によれば異邦人であった。そのころはキリストと関わりなく、イスラエルの民に属さず、神の契約と関係なく、この世の中で希望もなく、神を知らずに生きてきました。あなたがたは、以前は遠く離れていた者でした」と語っています。旧約聖書にあるアブラハムの選び以来、イスラエルの民こそが神の民であり、神に選ばれた選民であり、神の契約の民でありました。外国人や寄留者という異邦人は、その地域で生活を共にしていたとしても、そして彼らが神を敬う敬虔な者であっても、この神の民には加わることができませんでした。エルサレム神殿にも、これより先は異邦人は入ることができないという掲示板をつけた柵がめぐらされていました。イスラエルの民と異邦人の間には、隔ての壁があったわけです。その隔ての壁を打ち壊して、律法による救いではなくて、イエス・キリストの十字架によって、すべての者に救いがもたらされた。神との和解がもたらされた。イスラエルの民と異邦人の間の敵意という隔ての壁が取り壊された。それがイエスさまの十字架による救いの御業です。

イエスさまは何のために十字架にかかられたのでしょうか。まず第1は神さまから遠く離れている異邦人を、その中にはわたしたち一人一人が入っている異邦人を神さまに近づけるためです。2つめはただ近づけるだけではなくて、神さまから離れているわたしたちの罪をイエスさまの十字架によって赦していただいて、神さまと和解させてくださるためです。そして3つめは一人の新しい人として、一つの体として、キリストの体と呼ばれる教会の加えてくださるためです。

一人の新しい人というのは、イエスさまの十字架によって罪赦されて、自分が新しく生まれ変わったという意味の新しい人になったということだけではなくて、キリストの体である教会の一員と、神の家族になったということです。

第2に一つの神の家族は、一つの霊に結ばれています。18節《それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです》。一つの霊、これは聖霊なる神のことです。神の家族は一つの聖霊に結ばれています。エフェソ4:4には《霊は一つです》とありますように、聖霊は一つです。Ⅰコリント12章にはこういう御言葉があります。《聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです》、また《一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊を飲ませてもらったのです》。わたしたちクリスチャンというものは、一つの同じ聖霊をいただいて、イエスは主であるとイエスさまを救い主として信じることができています。イエスさまを信じることができるということは、聖霊をいただいている証拠です。またイエスさまを信じるだけではなくて、一つの体、キリストの体と呼ばれる神の家族に加えられるために洗礼を受けます。洗礼は聖霊によってなされるものでありますし、洗礼によって聖霊に満たされます。一つの神の家族というのは、一つの同じ聖霊に結ばれて、イエスさまを信じる者となり、洗礼の恵みをいただいた者たちです。

しかしその聖霊の働きには多様性があります。ですから聖霊が一つの霊であるということと、聖霊の働きの多様性ということは区別されなければなりません。Ⅰコリント12章にはまたこういう御言葉があります。《賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。……ある人には霊によって知恵の言葉、……ある人にはその同じ霊によって信仰、……これらすべてのことは、同じ唯一の霊の働きであって、霊は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです》。一つの聖霊が、多くの働き、多くの賜物を一人一人に分け与えているということです。教会という神の家族というのは、同じ一つの聖霊によって結ばれていることですが、その聖霊はまた一人一人に賜物を与えておられます。

大切なことは、神の家族は一つの霊に結ばれていることです。聖霊は一つしかありません。同じ一つの聖霊によって、神の家族は集められています。一つの聖霊、それはイエスさまを信じることを得させる聖霊であり、洗礼を受ける決意をもたらす聖霊です。神の家族は聖霊によって一つに結ばれています。

最後に第3に、一つの神の家族は、一つの土台に建っています。20節《使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり》。使徒や預言者というのは、ここでは初代教会の伝道者たちということです。使徒というのは、イエスさまと共に天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者で、イエスさまの復活の証人となる者です。その中心人物はイエスさまの弟子の中でも、ペトロ、ヨハネ、ヤコブというのが代表的です。イエスさまの兄弟ヤコブもエルサレム教会で重要な働きをしました。パウロも使徒言行録15章、ガラテヤ2章にあるエルサレム会議では異邦人の使徒とされたとあります。預言者たちは使徒以外のパウロと一緒に伝道した者たちや巡回伝道者たちということができるでしょう。神の家族はそういう使徒や預言者という土台の上に建てられていますということですが、注意しなければならないのは、使徒や預言者という人物のうえに建てられているのではないということです。

かつてイエスさまはフィリポ・カイザリアという山の方に行きました時、弟子たちに人々はわたしのことを何と言っているかとたずね、そしてあなたがたはどう思うかと言われました。ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えますと、イエスさまは「あなたはペトロ(岩)、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われます。ペトロという人物の上に教会を建てると言われたのではありません。ペテロの信仰の告白の上に教会を建てると言われました。

神の家族が、教会が使徒や預言者という土台の上に建てられるということも同じです。注意しなければならないことは、厳密に訳せば、「使徒たちと預言者たちという土台」です。使徒も預言者も複数いるわけです。しかしその土台というのは一つなのです。「使徒たちと預言者たちという一つの土台の上に建てられています」ということです。多くの使徒や預言者がいます。彼らは様々なところで福音を宣べ伝えます。そうした彼らが宣べ伝える福音という一つの土台です。様々なことを宣べ伝えてはいますが、その福音の土台は一つなのです。それは使徒や預言者の信仰の告白です。イエスさまの十字架と復活というメッセージの上に神の家族が建てられるのです。礼拝で毎週使徒信条を告白しています。この信仰の告白は、世界中の教会が一つであることをあらわす土台です。神の家族は、一つの土台の上に建てられます。他の土台の上には建てられません。神の家族は、イエス・キリストという既に据えられた土台を無視して、他の土台をすえることはありません。

神の家族は一つです。それは一人の新しい人となったからです。一つの聖霊によって結ばれているからです。一つの土台の上に建てられているからです。

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