日本キリスト教団 赤羽教会

日本キリスト教団 赤羽教会

<< 前週「」 | 「わたしは心配しています」 | 次週「」 >>

[礼拝説教]わたしは心配しています

大友英樹牧師
2019年1月26日
コリントの信徒への手紙Ⅱ12:11~21 

《わたしは心配しています》。パウロは率直に自分の心の内を明らかにしています。何が心配なのでしょうか。どうして心配なのでしょうか。一つめの心配は、コリントへの三度目の訪問です。14節に《わたしはそちらに三度目の訪問をしようと準備しているのですが、あなたがたに負担はかけません》とあります。第1回目の訪問は、使徒言行録18章にあるように、パウロが最初にコリントで伝道したときです。《「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」》。この御言葉に励まされて、1年6か月、腰を据えてコリントでの開拓伝道を行いました。フィリピの教会から献金がささげられて、 無報酬でイエスさまの福音を宣べ伝えました。当時の習慣で、哲学者などは人々に教えを宣べることで報酬を得ていたということですが、コリントの人々もそのような報酬をパウロの与えようとしたようです。しかしパウロはそれを受けようとしませんでした。ローマ3章に「神の恵みにより無償で義とされる」と語っている無償と同じ言葉を用いて、無報酬で、無償でイエスさまの福音を宣べ伝えました。イエスさまの十字架の恵みは、無償の恵みなのだということを教えようとしました。

2回目の訪問は、パウロがコリントを離れて、エフェソで伝道していた52年~55年の間でありました。パウロはコリント教会からの問い合わせの手紙を受け取って、それに答えるかたちでコリント第1の手紙を送りました。その手紙にはコリント教会からの問い合わせに答えるとともに、パウロのところに届いている教会の様子を憂いて、教会の中にリーダーを巡る争いがあったり、クリスチャンとなる前からの習慣が抜けきれないで、異邦人の間にもないほどのみだらな行いがあることを指摘しました。そして教会とはキリストの体であることを教え、あなたがたはその体の一部であることを自覚するようにと勧めます。

こうしてコリント第1の手紙が送られましたが、その後も課題があって、パウロはとうとう実際にコリントを訪問することになりました。それはコリント教会の一部の者が、パウロの使徒の権威を認めず、そればかりか敵対するような行動がありました。Ⅱコリント2:1に《そこでわたしは、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました》とありますが、この第2回目のコリント訪問はよい結果を得なかったようです。そこでパウロは涙の手紙と呼ばれている手紙を書きました。2:4《わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした》。その内容は厳しいものだったようです。パウロ自身も心配で、手紙を持参したテトスがなかなか帰ってこないので、エフェソからトロアスに、そしてさらにマケドニア州まで行きます。そこでテトスに再会して、コリント教会の人々が悲しんで悔い改めへと導かれて、今はパウロを慕い求めていることが伝えられました。

そこで三度目の訪問をしようとしています。14節以下を読みますと、コリント教会との再会に少し不安がある様子を見ることができます。本当に大丈夫だろうか。二度目の訪問のときのようにはならないだろうか。三度目の訪問を前にして、パウロの中にも不安や恐れがあることがわかります。

 

二つめの心配は、愛の一致があるかどうかです。20節《わたしは心配しています。そちらに行ってみると、あなたがたがわたしの期待していたような人たちではなく、わたしの方もあなたがたの期待どおりの者ではない、ということにならないだろうか。争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動などがあるのではないだろうか》。期待がある分、不安もあるわけです。お互いが期待どおりの者であるだろうか。そういったパウロとコリント教会の人々の間での人間関係の不安がありました。さらにパウロが語るのは、《争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動などがあるのではないだろうか》とコリント教会の中での人間関係に不安がありました。もちろん教会というキリストの体をたんなる人間関係というように考えることは間違いです。サークルのようなものではありません。神さまによって招かれ、集められ、イエスさまの十字架によって罪赦され、聖霊によって聖なる者とさせていただいた信仰者の集りです。ですから神の家族と呼ばれ、聖なる神殿とも呼ばれます。教会は神さまとの縦の関係なしに、横の人間関係だけで成り立っているわけではありません。しかしまた人間の集まりであることは言うまでもありません。罪赦され、聖なる者とさせていただいたとは言え、完全無欠な信仰者の集りではありません。欠けがあり、弱さがあり、足りなさがありというように、様々な課題を担いながら、日々主イエスさまと同じ姿に変えられていく望みと信仰をもって歩んでいます。そしてまた私たち人間には感情があります。様々な思いがあります。考えがあります。そういったことが時に、《争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動》というような人間の罪が湧き出てくる。罪まではいかなくても、ご自分の体である教会の中に、イエスさまの悲しまれるような、キリストの愛を冷やさせるような、躓きをもたらすような人間関係がはびこっていないだろうか。神の家族である教会が一つとなっているだろうか。バラバラな神の家族となっていないだろうか。おおよそバラバラな家族というのは形容矛盾でありまして、家族というのはそういうものではありません。家族は愛で結ばれています。結婚式で愛しますと誓約して家族が生まれます。しかしその愛が崩壊するときがある。神の家族である教会にもその愛が崩壊するときがある。《争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動があるのではないだろうか》というパウロの心配は愛の崩壊です。

もう一度言います。神の家族の愛とはたんなる人間関係ではありません。キリストの愛です。その独り子を十字架につけるほどの愛です。コリントの教会のみならず、代々の教会は、この愛が崩壊が起こって、《争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動があるのではないだろうか》という聖書の言葉が現実のこととなり続けています。教会に一致があるかどうか。愛の一致があるだろうか。《争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動があるのではないだろうか》。そういう心配が今も昔も変わりません。

 

最後に3つめの心配は、悔い改めがはっきりしているかどうかです。21節《再びそちらに行くとき、わたしの神があなたがたの前でわたしに面目を失わせるようなことはなさらないだろうか。以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいるのを、わたしは嘆き悲しむことになるのではないだろうか》。パウロはこれまで何度か手紙をしたため、訪問をしてきました。イエスさまの救いをいただいたものとしてふさわしく、それまでの罪の世界から悔い改めて、新しく生まれ変わって、神の家族の一員として、主イエスさまと同じ姿に造りかえられていくようにと教え、導いてきました。涙の手紙を送って、テトスからコリント教会に人々が嘆き悲しみ、悔い改めて、パウロを慕い求めているとの報告を受けて、どんなにかうれしかったかと思います。しかしパウロにはここにも不安がありました。《以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいるのを、わたしは嘆き悲しむことになるのではないだろうか》。クリスチャンとなる前のことではなくて、クリスチャンの罪の問題がコリント教会で課題であったわけです。テトスからの報告は受けたけれども、相変わらず以前の罪の世界に浸っていないだろうか。本当に悔い改めているだろうか。そういう心配です。

二つめの心配がどちらかというと感情的な、内面的なものとしますと、3つめの心配は、十戒で言えば7つめの「姦淫してはならない」という性的な罪の問題です。古くて新しい問題です。パウロ自身、ローマ7章で律法に「むさぼるな」となければむさぼりが罪であるとは知らなかったでしょうと語るように、聖書によって、十戒によって、罪が罪として指摘されなければ、それが罪とはわかりません。性的なことでも同じです。聖書によってしか罪が罪とはわかりません。ここで心配なのは、それが罪とは知らずに、以前に罪を犯した多くの人々が、クリスチャンが、悔い改めをはっきりしているだろうか。罪から離れているだろうか。聖化の恵みに生きているだろうか。以前には罪とは知らなかった。今は罪を知らされている者だのだから、クリスチャンであるお互いが、悔い改めてはっきりと罪から離れているかどうか。このことが昔も今も変わらない心配です。

こうしたパウロのコリント教会のための心配を学ぶときに、神の家族であるわたしたちお互いはどうであろうかと問われることです。わたしは心配しています。神の家族を心配しています。あの兄弟、あの姉妹とわたしは心配しています。そのように語ることができるでしょうか。

<< 前週「」 | 次週「」 >>
日本基督教団 赤羽教会
〒115-0042 東京都北区志茂2-56-4 TEL03-3901-8939 FAX03-3901-8990
このページは、自称赤羽web委員会(略してAWA)により作られています。