日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]主の祝祭日

大友英樹牧師
2019年6月2日
レビ記23:1~8  

わたしたちはカレンダーをもっています。1月が新年として1年の始まりとなりますが、4月は新年度のはじまりというような形で、2019年と2019年度という使い分けを行うこともあります。いずれにしても、カレンダーによって歩んでいます。今日は日曜日、休日となっていますが、これは日本では明治9年、1876年の太政官布告によって、それまでの日本のカレンダーではなかった欧米と同じように日曜日ごとに休日とすることになります。

日曜日が休日であるカレンダーというのは、欧米のカレンダーということですが、さかのぼればローマ帝国時代、キリスト教が盛んになった時代に、日曜日を休日とすることになりました。さらにさかのぼれば、新約聖書の使徒言行録には「週の初めの日」、つまり日曜日に礼拝をささげるために集まってきたとあります。それは今日の聖書箇所にあります7日目の安息日、これを継承しているわけです。キリスト教会は、この安息日をイエスさまが復活された「週の初めの」、日曜日を新しい安息日として今日まで礼拝をささげて今日に至っています。

実は、わたしたちは意識しているかどうかにかかわらず、日曜日が休日であり、礼拝をささげる日であるという聖書のカレンダーの中を歩むようになっています。ただこの日を休日holidayとするのか、礼拝をささげる聖なる安息日holydayとするのかということです。わたしたちは今日、神さまの導きの中で、安息日の礼拝に集められました。聖書のカレンダーの中に歩む者として招かれています。毎週毎週、7日ごとに安息日を守る者とされています。それは「主のために安息日である」とあります。ですから日曜日の安息日礼拝は、十戒に従えば、神さまが天地の創造者であることをほめたたえ、その救いの御業を賛美します。主のための安息日、神さまを礼拝するための日曜日です。そこで今日はそのような毎週の安息日礼拝と共に、わたしたちは1年間、どのような聖書のカレンダーの中を歩んでいくのだろうかということを学んでみたいと思います。3つのことを挙げてみます。

 

まず第1は主の過越の祭りです(5~8節)。21~22章は祭司に語られていましたが、この23章の主の祝祭日という箇所は、イスラエルの民に1年間のカレンダーを教えている箇所になります。ですから祭司への言葉のように細かく語られてはいません。毎週の安息日礼拝の他に、年に3度の祝祭日を祝いなさいと教えています。その第1が過越の祭りです。それは第1の月の14日からはじまります。わたしたちのカレンダーでは、3~4月にかけての時期となります。この過越の祭りは、イスラエルの民にとっては身近なものでした。今、イスラエルの民は、モーセを指導者としてエジプトから救い出されるという出エジプトをして、一か月の旅をしてシナイ山の麓にいます。そこで何か月か滞在している最中です。その間にモーセがシナイ山で十戒をいただき、神さまとの契約を結びました。そして神さまを礼拝するために幕屋を建てよと命じられて幕屋を建築し、そこでの礼拝について教えられ、礼拝に奉仕する祭司が立てられ、そして礼拝をささげるあなたがたは聖なる者であるようにと教えられてきました。そのイスラエルの民にとって、主の過越は1年ほど前の経験です。その日、イスラエルの民は屠った小羊の血を家の門の柱と鴨居に塗って家に潜んでいました。その夜、主は小羊の血が塗られているイスラエルの民の家の前を過ぎ越されて、エジプトの初子が打たれてしまいます。イスラエルの民は、小羊の血によって贖われ、過ぎ越されて出エジプトの救いを与えられます。出エジプト記12章には、この日を覚えて、過越の祭りを祝うようにと命じられています。

新約聖書はイエスさまが最後の晩餐の席で、過越の祭りの食事をされ、弟子たちの足を洗われ、これは「これはわたしである」と言われて、パンを裂き、ぶどう酒を渡され、新しい契約を結ばれました。これを記念として行いなさいと聖餐式を制定されます。過越の祭りは、イエスさまの十字架の日です。わたしたちの罪に贖いとして、すべての民の罪の身代わりとして、ご自身を過越の小羊として十字架にささげてくださいました。ゲツセマネの園での苦しみもだえる祈りをささげて、十字架の道を進んでくださいました。

過越の祭りから除酵祭がはじまります。それは酵母を入れないパンを7日間食する祭りです。出エジプトの時に、急いでいたために、酵母の入っていないパンを焼いて出エジプトをしたことを記念するものです。9節からのところには、このとき大麦の収穫が行われる時期になりますので、その大麦の初穂をささげるようにとあります。新約聖書はこの初穂こそ、十字架に死なれたイエスさまが復活されたことであると語ります。Ⅰコリント15章には《しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました》とあります。小羊をささげる過越の祭りと初穂をささげる除酵祭、それはイエスさまの十字架と復活の祝いの日、十字架とイースターの祝いの日です。

 

第2は七週の祭りです(15~16節)。過越の祭り、そして除酵祭から50日、季節は5月~6月の頃になります。大麦から小麦の収穫に代わって、その収穫も終わる頃に祝われます。これは収穫の祝いです。神さまから良きものを与えていただいたという感謝の祝いです。この七週の祭りは、やがてイスラエルの民にとっては、出エジプトしてからシナイ山でモーセによって十戒をはじめとする律法が与えられた日とされて祝われるようになります。簡単に言えば、聖書が与えられた日と言ってもよいでありましょう。

新約聖書には使徒言行録2章に七週の祭り、50日目の五旬祭の日に、ペンテコステの日、世界中から集エルサレムに集まっていたユダヤ人が、聖霊が注がれて、そこに集っていた人々の故郷の言葉でイエスさまの福音を聞くことになります。その日、ペトロの説教を聴いて、心を打たれて、イエスさまを信じて洗礼を受けた者が3000人あったと記しています。復活されて、天にお帰りになるイエスさまが、「上からの力に満たされるまで都に留まっていなさい」、「あなたがたは間のなく聖霊よってバプテスマを受ける」、「聖霊が降ると、あなたがたはわたしの証人となる」という約束されました。その約束の聖霊が、キリストの霊とも呼ばれる聖霊が与えられたのです。聖霊が一人一人に注がれなければ、聖書を読んで信じることもできませんし、イエスさまが主である、救い主であると信じることもできません。ただ聖霊が注がれるときに、聖書を通して語られる福音に心を打たれることが起こり、イエスさまを信じることが始まります。わたしたちは七週の祭り、ペンテコステの日を祝います。

 

最後に第3に贖罪日です(27~28節)。これはレビ記16章にありました年に一度の大贖罪日のことです。9月~10月にかけての第7の月の10日になります。この第7の月はイスラエルの民にとっては、1年のはじめ、新年の月となります。この第7の月は一日に角笛が吹かれて聖なる集会の日とする。そして10日に年に一度の大贖罪日として、大祭司が幕屋の一番奥にある最も聖なる至聖所、神さまの臨在される神の箱の前で犠牲をささげて、民全体の罪の贖いをささげます。そしてこの日の聖なる集会を開く、最も厳かな安息日と言われています。その後7日間、出エジプトの荒野の40年の旅を覚えて、つまりは神さまの救いの恵みを覚えて、荒野の放浪の旅を象徴する仮庵に住む仮庵の祭りが行われます。

この年に一度の贖罪日は、第7の月の10日なので、年によってその曜日が異なります。過越や除酵祭、七週の祭りが7日ごとの安息日と結ばれているのとは違って、必ずしも7日ごとの安息日ということにはなりません。しかしこの贖罪日は最も厳かな安息日であるとされています。この贖罪日の贖罪は、毎年繰り返されますが、その時には完全なものだからです。だからこの日は最も厳かな安息日として、苦行をしなければならない。悔い改めなければならないと教えられています。

新約聖書、特にヘブライ人への手紙には、イエスさまはただ一度十字架に死なれて、完全な贖罪をしてくださったと宣言します。イエスさまの十字架、贖罪が、ただ一度の完全なものであって、繰り返される必要がない。1年しか効力がもたないようなものではなくて、完全な贖罪、それがイエスさまの十字架です。死に勝利して、3日目に復活してくださったイエスさまの十字架は完全な贖罪をわたしにもたらしてくださいました。

新約聖書は過越の祭りと大贖罪日を結びつけます。イエスさまの十字架がただ一度の大贖罪日であります。あなたの罪はイエスさまの十字架と復活によって完全に贖われ、赦され、救われました。聖書はそのように語ります。それゆえにこの日は最も厳かな安息日なのです。

わたしたち一人一人にとって、わたしの大贖罪日があります。わたしはこの日にイエスさまを信じた。イエスさまの十字架によって罪赦された。神の子とされた。新しく生まれ変わった。洗礼を受けた。そういう救いの日があります。その日こそが、わたしの大贖罪日です。その日、最も厳かな安息日として、神さまの前に感謝をささげるようにしたいと思います。

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