日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]東方からの見舞い客

武石晃正伝道師
2019年6月19日
マタイによる福音書2章1-12節

アウトライン

1.ユダヤ人の王として生まれた方(1-8節)

2.東方からの見舞い客(9-12節)

3.天と地のすべての権威を授かっている方(28章18-20節より)

<まとめ>

 

はじめに

今年の教会聖句の中に「聖なる民に属する者」ということばが含まれています。これはマタイが福音書の冒頭で示したイエス・キリストの系図に私たちが加えられているということを意味します。神の国がキリストによって地上に表され、教会によって実現していくことをマタイによる福音書は私たちに教えています。

 

1.ユダヤ人の王として生まれた方(1-8節)

主イエスがお生まれになったのはヘロデ王の時代(1)だったと書かれておりますが、このヘロデは通称ヘロデ大王として知られている王様です。在位は紀元前BC40-4ですので、恐らく4年か5年だと思われます。またユダヤのベツレムで生まれた、と地名が明かされています。このベツレヘムはエルサレムから南に約8kmほどにある農村でしたが、初代の王ダビデのゆかりの地ですからユダヤ人の王が生まれるには実にふさわしい場所です。ベツレヘムとはユダヤの言葉で「パンの家」を意味しており、その名の通り豊かな土地でした。神様の祝福を覚えます。

占星術の学者は英語でwiseman(賢者)あるいは sorcerer(呪術者)などと訳される一語です。「占星術の」は翻訳上の補填で、彼らが星占いをしていたわけではありません。天体学や暦、神羅万象の研究者だったといいますから、科学者と歴史家を兼ねたような存在だったと思われます。

東の方とはエルサレム神殿においては主が来られる方角(エゼ43:4、44:3ほか)であり、地理歴史としてはかつてユダヤ人が捕囚となったバビロンの方向に当たります。主をお迎えする方角でもあり、かつての汚点が思い出される方角でもあります。

この訪問者らの具体的な民族名や国名について聖書は沈黙していますが、2千年前のエルサレムにはパルティア、メディア、メソポタミアなど東方の出身者も出入りしていたことが使徒言行録より分かります(使徒2:9)。この学者たちが町の中をウロウロしていれば目立つでしょうが、王様への取次ぎを求めにきたこと自体は騒ぎになるほどのことではありません。

 

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」(2)とは随分と遠回しな表現に聞こえます。お世継ぎはお生まれでしたかと尋ねれば用足りそうなものです。いずれにしても現職の王に対してこの話題を持ち出されたのですから、ヘロデにとっては引導を渡された格好になるわけです。

更に「拝みに来た」とは礼拝worshipしに来たという意味です。顔だけ拝みに寄らせていただきましたという程度ではなく、星のお告げを受けて天命を知った彼らは新しく生まれた方を正式な王として祝福する儀式をしに来たのです。

これを聞いたヘロデ王は「不安を抱」きました。そこには彼がユダヤ人から信任を受けた王ではなくローマの元老院から任ぜられた王だったという背景があります。この3節を直訳すれば「聞いたことでヘロデは不安にさせられ、彼と共にいたエルサレム人みなもまた」となりまして、「彼と共にいた」人々とはヘロデの家臣のうちでも側近を指すと思われます。エルサレムの人々と書かれてはいますが、これは「ユダヤ人の王」がおられるベツレヘムとの対比になっています。都全体に一瞬で噂が広がって、蜂の巣をつついたような騒動になったということではありません。

 

ここでヘロデ大王とその側近が恐れた内容について考えてみます。

まず東方をカルデヤの地すなわちバビロンととれば、ユダヤ人にとっては捕囚の地ですから鬼門と言えます。かつてのバビロン捕囚に先立って、ヒゼキヤ王の闘病中に東方からの見舞い客が来訪しました(列下20:12以下、イザ39章)。この時にヒゼキヤが使者に宝物倉の中身を見せるだけ見せてしまったことから、カルデヤ人による略奪とバビロン捕囚がイザヤによって宣告されたという前例があります。主のさばきとして異邦人による侵略の予兆、日本のことわざでは天災は忘れたころにやってくるといったところでしょうか。

東方との関係を見ますと、ヘロデ大王という王はローマの元老院からユダヤの王に任命されていることに対して、今回は東方の国が新たにお生まれになった方をユダヤ人の王であると認めたわけです。ヘロデの後ろ盾であるローマの聞き及ばないところで、東方諸国の支援を受けた反ローマ勢力のリーダーがユダヤ国内に誕生したということを意味する。

また「ユダヤ人の王」とはローマの傀儡ではなくダビデの王座の復権を匂わせます。この「ユダヤ人の王」によって国内で反乱がおこればローマへ敵対すると見なされ、ユダヤ全体が反逆罪でカエサルに攻め落とされることになります。つまりヘロデ自身の失脚だけでなく、ユダヤの国そのものも危うい状態にあるというわけです。

さらにこの危機的状況を王宮でもなくユダヤ指導者らでもなく、東方の外国人らが先に知っていたというわけですから重大な機密漏洩にあたります。星を見たとの申告ではありますが、間者がいないとも限りません。危機管理上の深刻な問題に直面しています。

ということで不安材料が目の前に2重3重4重と一気に積み上げられました。

 

切羽詰まった王はユダヤの宗教指導者らを極秘裏に招集します(4-5)。後に「ユダヤ人として生まれた方」はこれら祭司長たちと律法学者たちの反目に遭い、不当な裁判を経て十字架につけられることになります。

彼らは律法や預言書の専門家であるのでミカ書を引用して王に答えることができました。ローマによる平和(pax romana)によって居心地のよさを享受していた彼らにとって、このような預言は都合が悪く、口をつぐんでヘロデ王の耳に入れていなかったのでしょう。

ここに記されている概ねミカ書の引用ですが(6)、細部が七十人訳ともやや異なります。恐らく幼子の両親が東方の学者らから聞き知った内容かと思われますが、大意が通じていれば正ということです。

預言書の内容を確認したヘロデは今度は「ひそかに」学者たちと面会します(7-8)。「星の現れた時期」は後出の幼児虐殺(16)にかかる重要な情報です。ヘロデが王であるのに「ユダヤ人の王として生まれた方」を知らないということを不審に思う必要はありません。この方の星の出現は、東方の学者の高度な知恵による発見なので、ユダヤの田舎郷士風情が知り得ないのは当然と言えましょう。また「わたしも行って拝もう」とお忍びでの訪問をにおわせたのも、ローマの権威にある者が東方寄りの情報に通じることがどれほど危険であるか考えればやむを得ないことでしょう。領民の代表者である祭司長や律法学者らの耳に入ってよいものでもないので、善意に見ればごく当たり前に機密を図ったに過ぎません。

 

2.東方からの見舞い客(9-12節)

学者たちはいよいよヘロデに送り出されました。「東方で見た星」が「先立って進み」「ついに・・・止まった」は東方の学者らがユダヤの田舎者にも分かる程度に噛み砕いて、通訳を介して説明した表現かもしれません。ガリラヤ出身の大工ヨセフがどこまで理解できたか定かではありませんし、彼の妻は未就学のローティーンですから詳しく聞いても理解できた程度に限界があります。

たとえば現代におけるカーナビゲーションやスマートフォンの地図アプリなどで用いられるGPS(Grobal Positioning System)について、日常生活レベルでどこまで正確な説明が必要でしょうか 。「GPSってね、今いる場所を人工衛星が道を教えてくれるんだよ」という程度の内容で十分に通じるわけです。厳密には手元の端末が人工衛星が発信する電波から自身の位置情報を測位し、それを別途用意されている地図情報へ重ね合わせているわけです。人工衛星が地上にいる個人を見つけて空から道案内をしているのではありません。けれども使用する上では厳密な説明も理解も不要であり、正しい道を案内されるのです。

逆にマリヤとヨセフに正確な説明をしたところで、「せっかく遠くから来てもらってすまねぇんだけど、通訳さんを挟んだところで外国のお偉いさんの難しい話なんかちっとも分かんねぇんだよ」と、理解が及ばないのが現実でしょう。

人間が理解できるとできないとに関わらず創造主である御父はご自身の計画を東の果てまで知らせ、彼らを導き出すために御父は天の万象をも自在に用いられたということに目を向けます。

たどり着いた学者たちは「入って」「見て」「礼拝した」と書かれています。語順としてはカエサルのveni vidi vici(来た、見た、勝った)に似ている感があります。「家」については今回は掘り下げませんが、宿でもなければまして家畜小屋とも書かれていません。イエス様が生まれた場所と同じ家だと考えてもよいのですが、ただし1年後のことになります。

直訳では彼らが「(幼子を)見た」のであるが、「とうとう見つけた」という臨場感が伝わるのは新共同訳の訳のほうです。とにかく感動的な出会いだったことに違いありません。

ところで、前回に引き続き気になるのはあの男です。マリヤの夫ヨセフ、今回は出番なし。一体どこにいたのでしょうか。学者たちがイエス様とマリヤを見つけた時、どうやって家に入って来たのかを考えれば答えが出ますね。この旅人たちを出迎えて丁重に挨拶を交わした家の主その人こそマリヤの夫ヨセフです。客人を通したばかりなのでまだ戸口に立っているでしょう(とはいえ脇に置かれているということには異論ありませんが)。

突然外国の偉い人が逗留先に訪問してきたのですから、例えるなら宿泊先のホテルに外ナンバーの黒塗りが横付けして居室へ直接内線電話をかけてきたようなもの。そんなアクシデントにもビビらずに対応できるヨセフ、何と頼もしいことか。

「黄金、乳香、没薬」はそもそも高価なささげものですが、おそらくユダヤ界隈ではそうそう見かけないような東方ならではの純度だったことでしょう。詳細は省略しますが、乳香はオリバナムとも呼ばれる樹脂で仏式の焼香にも見られます。没薬は防腐性のあるミルラという香料で、埋葬でも用いられました。主イエスの生涯を暗示するとも言われています。見慣れない持ち慣れない財宝を受け取ったのはよいのですが、この先どうすればいいのかと幼子の両親は思案したでしょう。何しろ旅人たちは別ルートで帰っていってしまいましたから。

東方からの見舞い客が来てたくさんのプレゼントをもらってよかったね、とは話が収まりません。現状を言い換えてみましょう。イスラエルを訪れた某国の高官が民間のユダヤ人と内密に接触、当局の預かり知れぬところで幼児を次期指導者として擁護、その両親へ多額の金品を供与した上で隠密に出国していった、ということになります。国家の安全保障に関わる重大な事件です。これでは命を狙われるのは当然のこと。命がけのスリルといえば映画にするならトム・クルーズがはまり役、主演で一本撮れませんかね。

 

3.天と地のすべての権威を授かっている方(2818-20節より)

主イエスは生後早々に「ユダヤ人の王」として異邦人に礼拝され、30余年のご生涯を送られた後に磔刑に際して異邦人の手によって「ユダヤ人の王」と罪状書きに記されました。こうしてマタイは「ユダヤ人の王」という一貫したテーマをもって福音書を記したのです。突如東方からの学者らの登場でしたが、これはマタイの意図したことです。系図に始まることでユダヤ人の気を引きつつも、初めから世界宣教を主題としているのです。

誕生したと思ったらすぐに東方の学者らの到来、この後エジプトへの逃亡と主イエスのご生涯の当初から外国と濃厚な接触があることが示されています。12使徒が任命される記事(12章)の前に既に主はローマの百人隊長のしもべを癒やす奇跡を行っており(8:5-12)、その後さほど間をあけずにカナン人の女との出来事(15:21-28)が記されているのです。そしてとどのつまりは28章、十字架刑の後で葬られ3日目によみがえった主は、弟子たちを改めて召して全世界へと福音宣教へ遣わされます(28:18-20)。

マタイは「ユダヤ人の王」と異邦人とのつながりを福音書の「縦軸」にしており、我々と共におられる神・インマヌエルとして描いています。そしてこの「ユダヤ人の王」はイスラエルに対してだけでなく「天と地の一切の権威を授かっている」(28:18)お方なのです。このユダヤ人の王は、弟子たちそして教会へ厳かに命じておられます。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさいと。

それは「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」ることであり、「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教え」ることです。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という約束をもって結ばれますが、実にマリヤとヨセフへ示された神の子の名インマヌエル(我々と共におられる神)が真実であったと締めくくられるのです。

 

<まとめ>

主は聖霊によって宿り処女マリヤより生まれ、御父が主権によって異邦人にもご降誕を示されました。父子聖霊の三位一体なる神が、彼らと共におられたことが本日の箇所から示されます。

ユダヤ人の王として生まれた方はユダヤ人にではなく異邦人によって礼拝されました。主のご降誕の当初、むしろアブラハムの時から父なる神は異邦人をも救おうというご計画を示しておられたのです。

メシヤと呼ばれるイエスの誕生によって到来し、その権威はキリストの弟子たちに委ねられました。そして使徒たちによって伝えられた福音の上に教会が建てられ、父子聖霊の御名のもとに聖礼典の執行と福音の宣教という務めを担っています。私たちはこの聖なる民とされたのです。

 

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