日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]常夜灯を絶やすな

大友英樹牧師
2019年6月24日
レビ記24:1~4 

イスラエルの民が神さまからモーセを通して命じられたことは、礼拝をささげる幕屋を建てるようにということでした。出エジプト記にその幕屋建築のことが語られています。レビ記はその幕屋でどのような礼拝をささげるのかということがテーマとなっています。礼拝には犠牲が必要である。献身と和解と贖罪の犠牲がささげられます。また礼拝には祭司が必要である。祭司は具体的に犠牲をささげる務めを担いました。祭司は礼拝に仕える働き人です。そして礼拝をささげる者は聖なる者であるようにと求められます。聖なる神さまを礼拝する者は、聖なる者であることが求められるわけです。礼拝をささげる日は毎週の安息日礼拝、そして過越の祭り、七週の祭り、大贖罪日という三大祝祭日があります。つまりは神の民の歩みは、神さまを礼拝する生涯である。神さまを礼拝すること、それこそがわたしたち人間がなすことができる最も美しい、最高の営みであります。そうした礼拝をささげる神の民に今日求められていることは、常夜灯を絶やしてはならないということです。

ヘブライ人への手紙9章には、幕屋の内側の様子が語られています。幕屋の内部は二つに分かれていまして、入り口から入ると第1の幕屋、奥の方に垂れ幕があって、その奥には神さまが臨在される最も聖なる所ということで至聖所と呼ばれるところがあります。ヘブライ人への手紙9章では次のように語られています。《第一の幕屋が設けられ、その中には燭台、机、そして供え物のパンが置かれていました。この幕屋が聖所と呼ばれるものです。 また、第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました》。聖所の中の垂れ幕の前には、燭台、机、供え物のパンが置かれています。レビ記24章の常夜灯を灯す、そしてパンを12個並べるとあるのは、この垂れ幕の前にあった燭台と机の上に並べられたパンを指しています。今日はそのうちの燭台、常夜灯を取りあげます。

この常夜灯というのは、4節に《アロンは主の御前に絶やすことなく火を灯すために、純金の燭台の上にともし火皿を備え付ける》とあるように、純金でできた燭台であります。それはメノラーと呼ばれるもので、真ん中に一つの燭台、左右に三つずつ枝が伸びて燭台となっている ものです。ローマにあるティテゥスの凱旋門には、70年にローマ帝国がエルサレムを占領し、神殿を破壊した時に、神殿にあったメノラー、燭台を戦利品とした様子が彫られています。それは担いでいるローマ兵と同じぐらいの大きさで彫られていますが、それはユダヤの民の象徴であります。そのメノラーが幕屋の垂れ幕の手前のところに置かれています。幕屋というのは40年の荒野の旅をしていくわけですので、解体することができるものでした。次の宿営地に着きましたら、幕屋を再び組み立てます。幕屋は壁板が組み合わされて、その上に幕屋を覆う幕が張られ、幕屋の入り口にもそれを覆う幕がありました。この幕屋を覆う幕はかなりの厚みがあったようですから、昼間でもおそらくその幕屋の中は暗かったでありましょう。ましてや夜になればそこはまさに真っ暗な聖所です。そこに夕暮れから朝まで常夜灯を灯すようにと命じられているわけです。それは何を表わしているのでしょうか。神さまの臨在をあらわすという意味もあるでしょうが、何よりも暗い夜の間もわたしたちは神さまの御前にありますという神の民の姿勢をあらわしているということができます。サムエル記上3章には少年サムエルが神さまに呼ばれたとき、サムエルは常夜灯が灯されている幕屋の中で寝ていて、《神のともし火は消えておらず》とあります。この言葉自体はまだ夜明け前であったということですが、エリの息子たちの堕落の中で、サムエルが神さまに選ばれ、献身するという意味で《神のともし火は消えていない》というサムエル自身の献身の姿をみることができます。そのように神の民は昼間は幕屋で神さまに近づいて祈りがささげます。そして夜はそれぞれの天幕で眠りにつくわけですが、そのときにも「神さま、わたしたちはいつもあなたの御前にあります」という献身の姿勢ということができます。そういう意味合いをもつ常夜灯を絶やしてはならない、それが今日の御言葉です。

「常夜灯を絶やしてはならない」ということ、暗い夜も神さまの御前にあります。つまりいつでも神さまの御前にあります。神さまの御前に献身しています。神さまの御前に祈りをささげます。賛美をささげます。そういう信仰者の姿勢があらわれています。時は夜中、本当に真っ暗な幕屋の中、それは通常であればやがて朝がやってくる。わたしたちは朝がやって来ることを疑うことなく夜を迎えます。しかし霊的な意味で、わたしたちの歩みには暗い夜が襲ってくることがあります。真っ暗な中、ただ常夜灯を灯して、ただ神さまの御前にあって、祈り、すがりつくことしかできない、人生の夜があります。いつ朝が来るのだろうかと絶望するような人生の夜です。その中で「常夜灯を絶やしてはならない」ということは重要なことです。

今日はホーリネスの群の弾圧記念礼拝、午後には弾圧記念聖会が開かれます。1942年6月26日、ホーリネス系の教会の牧師たちの一斉検挙が行われて、128名の牧師たちが検挙されました。当時の赤羽教会の佐藤勇先生は検挙はされませんでしたが、警察の取り調べを受け、やがて教会は解散命令が出され、牧師は退任処分となり、教会堂は建物疎開のために壊されてしまします。検挙理由は治安維持法違反で、天皇を中心とする国体を否定する団体として弾圧を受けました。神聖にして侵すべからずとして天皇を神として祀る国家による弾圧です。天下の悪法と呼ばれる治安維持法による戦時中の最大の弾圧事件がホーリネス弾圧事件でした。弾圧の理由は天皇中心の国体を否定するということでしたが、それはイエスさまが再臨されるとき天皇陛下はどうなるのか、天皇陛下もキリストの千年王国の中に統治されるようになるのかというような今では考えられないようなことでした。しかし本当の理由は定かではないところがあります。同じ理由で検挙された無教会の信徒がいましたが、同じ裁判官が担当した裁判で無罪とされました。治安維持法はキリスト教の弾圧を念頭において改正されたことが国会の議事録に残っていますから、なんらかの理由でホーリネスの教会が見せしめのようにして弾圧を受けたのかもしれません。

そうした弾圧の時代、検挙された牧師たち、その家族たち、牧師を失い、教会解散を命じられた信徒たちにとって、いつ朝が来るのかわからないような時代を過ごしたわけです。そういう中で検挙された牧師たちの手記や信徒たちの証しを読むときに、常夜灯を絶やすことなく灯し続けた、いつ朝がやってくるかわからないような弾圧の中で、常夜灯を絶やさず燃やし続けた姿を見ることができます。淀橋教会の小原十三司先生の鈴子夫人が残している手記には、検挙されて70日ほどたって、はじめて留置所での面会を許されたとき、三畳の監房に16人も詰め込まれていたそうですが、どんなに疲れた姿であろうかとおそれをもっていましたが、一目見ました時一切の杞憂は拭い去られ、「神共にいます」山から降りて来たモーセの面の輝きを想像するあるものが漂っていましたとあります。小原先生は信仰と祈りの人だと言われていましたが、まさにそのごとく留置所のなかでも常夜灯を絶やすこことなく灯し続けるように、神さまの御前にあって祈って過ごしておりました。それがモーセがシナイ山から降りて来たごとくであったという秘訣であります。弾圧を受けた先生方は、その家族、信徒の方々のうちに、どんなにか恐れ、失望し、嘆き、呻いたことでありましょう。2年、4年という実刑判決で刑務所に収監された牧師、留置中に死亡した牧師、釈放されたのちに病気で亡くなった牧師もありました。その中で常夜灯を絶やすことがありませんでした。神さまの御前にわたしたちはいます。神さまの御前にわたしたちは献身し、祈り、賛美し、礼拝します。そのような常夜灯が絶やされることなく、ささげられたゆえに、戦後再び、ホーリネスの群は復興することができました。赤羽教会も復興することができました。わたしはそのように信じています。

常夜灯を絶やすことなく灯し続ける。霊的な意味では、神さまの御前に自分をささげ、祈り、賛美し、礼拝する信仰の姿です。「絶やすことなく」、この言葉は、わたしたちの読んでいる聖書では2回ですが、ヘブル語の原典では2~4節に1回ずつ出てきます。2節は常夜灯の常、これが元の言葉では「絶やすことなく」という言葉です。「絶やすことないように」、「常に、常に、常に」と繰り返されます。三度繰り返されるのは、本当に強調していることです。「絶やすことなく」と言いますと、一所懸命に努力しないといけないというようなイメージがあるかもしれません。「絶やすことなく」というのは「いつものように」という意味が込められています。頑張って灯し続けるようにというのではなくて、「いつものように」灯し続ける。「いつものように」神さまの御前にある。「いつものように」神さまの御前に祈る。「いつものように」神さまの御前で賛美する。「いつものように」常夜灯を灯し続ける信仰の歩みです。神さまの前に時々いるのではなく、何か事が起こったときにいるのではなくて、「いつものように」です。神さまの御前に「いつものように」御言葉を学んでいるか。神さまの御前に「いつものように」祈りをさささげているか。「いつものように」賛美をささげているか。「いつものように」霊的な意味の常夜灯を燃やし続けているか。聖書は《夕暮れから朝まで絶やすことなく火を灯しておく。これは代々にわたってあなたたちの守るべき定めである》と絶やすことがないように命じます。ホーリネスの群の教会の弾圧記念礼拝において、その教会のメンバーとして、霊的な意味です常夜灯を「いつものように」燃やし続けなさいと命じられています。

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