日本キリスト教団 赤羽教会

日本キリスト教団 赤羽教会

<< 前週「」 | 「神は契約を忘れない」 | 次週「」 >>

[礼拝説教]神は契約を忘れない

大友英樹牧師
2019年7月10日
レビ記26:40~46 

イスラエルの民は出エジプトの救いをいただいて、シナイ山のふもとでモーセを通して十戒を与えられ、神さまと契約を結んで、神の民として歩みはじめることになります。そして約束の地であるカナンの地まで、40年の荒野の旅をはじめることになります。レビ記はそんなイスラエルの民に、神の民というのは礼拝をささげる民なのだということを教えています。そこでどのように礼拝がささげられるのか、そのためには罪の赦しのための犠牲が必要であるとか、礼拝では祭司が仕えるとか、聖なる神を礼拝する神の民は、聖なる者であるようにというようなことが教えられています。

レビ記26章はそのような礼拝生活のまとめのような箇所になります。26章のはじめのところを見ますと、祝福と呪いという小見出しがあります。やがて40年の荒野の旅を終えて、イスラエルの民が約束の地に入る直前に、モーセが荒野の旅で出エジプトしたときに大人であったものは亡くなってしまい、新しい世代が約束の地に入ろうとしていました。そこで申命記では、モーセがそうした世代にもう一度神の律法を伝えるということがなされ、その最後に神の律法に従う者には祝福、従わざる者には呪いが与えられると語っているところがあります。もちろん聖書の信仰というのは、ご利益信仰ではありませんから、信仰があっても様々な課題にぶつかります。信仰があれば、何もかもうまくいくということはありません。しかし神さまへの信仰をもっていく、神さまの律法に従っていく、神さまの御旨を行っていこうという思い、意志、決意というものはとても大切です。この26章では神さまの御旨に従っていくということで命じられているのは、1~2節にある2つのことです。一つは偶像礼拝をしてはならない。刻んだ像を造って、これが神であると拝んではならない。もう一つは安息日を守り、礼拝を守りなさいということです。レビ記は神の民は礼拝をささげる民であることを教えていることと結びついています。偶像を神として礼拝するのではなくて、安息日を聖別して、天地の創造者、出エジプトの救いをもたらしてくださった救い主である神さまを礼拝しなさい。そしてそのようにあなたたちが神さまを礼拝するならば、あなたたちには神の祝福が注がれます。それは3~13節まで4つの祝福が語られています。14節からはそうでなければ呪われます。それは神さまを礼拝しないということは罪でありますから、罪への裁きということです。15節にはそれは神さまとの契約を破ることなのだとありまして、次々に、罰、災い、懲らしめということが続いていきます。そしてさらには神の民が神さまを礼拝しないという罪の中にありつづけるならば、国も民も滅ぼされてしまう。やがて400年ぐらい後に経験することになります、バビロン捕囚のような経験をすることになるのだと警告されています。

このように神さまの祝福と呪いということが語られますが、なんと祝福よりも呪いの言葉の方が多いことでしょうか。神さまの御旨に従うことをせずに、つまり偶像を礼拝し、安息日を守るというように、まことの神さまをふさわしく正しく礼拝することなく、七倍の罰、七倍の災い、七倍の懲らしめというように警告を受けても、それでもなお神さまに立ち帰らない。偶像礼拝を禁じ、安息日の礼拝を守るという神さまの御旨に従わない。神の民として選ばれて、神さまがわたしはあなたの神となると契約を結んでくださったイスラエルの民でされ、偶像礼拝の罪と安息日の礼拝を守ることから離れていくならば、そこに立ち帰るようにと、神さまは七倍の罰でも、七倍の災いでも、七倍の懲らしめを加えてでも、神さまに立ち帰るように、神さまの御旨に立ち帰るようにとされるというのです。神の民でさえそういうことであるならば、神の民でなかったわたしたちはなおさら、偶像礼拝と安息日を守ることをしない、それが神さまの御旨であることを知らず、罪であるとは知らなかったお互いです。そうであればただ神の呪いの中に滅びるばかりのものであります。

しかし40節からの御言葉は、神の呪いの中から罪を告白し、悔い改めるときに、それがたとえやがてイスラエルの民が400年後に経験することになるバビロン捕囚のような中にあっても、神さまの前に、偶像礼拝をしてしまった罪を、天地を創造された神さまを賛美する安息日を守ることがなった罪を告白し、悔い改めるならば、神さまの呪いの中から、神さまの祝福の中に入ることができるのだと語ります。しかもそれは神さまがわたしの契約を思い起こすからだ、忘れないからだと語ります。42節《そのとき、わたしはヤコブとのわたしの契約、イサクとのわたしの契約、更にはアブラハムとのわたしの契約を思い起こし、かの土地を思い起こす》。聖書のはじめ創世記12章からの罪に堕ちてしまった全人類に救いをもたらすために、祝福をもたらすために、アブラハムを選び、イサクを選び、ヤコブを選ばれます。ここでは時間を遡るようにして、ヤコブ、イサク、アブラハムとなっていますが、いずれの神さまと契約を結んだ人物でした。それは神さまが選んでくださったということです。その契約を思い起こすと言われるわけですが、神さまは決してそれまで忘れていたわけではありません。いつでも神さまの契約の御手は伸ばされたままだからです。44節《それにもかかわらず、彼らが敵の国にいる間も、わたしは彼らを捨てず、退けず、彼らを滅ぼし尽くさず、彼らと結んだわたしの契約を破らない。わたしは彼らの神、主だからである》。たとえバビロン捕囚のようなことがあったとしても、わたしは捨てない、退けない、滅ぼさない、契約を破らない、なぜならわたしは彼らの神であるからです。彼らを出エジプトの救いを与えた主であるからです。

聖書は神さまと契約ということを語ります。その契約は神さまの方から、神さまの一方的な御手が差し出されて、「わたしはあなたと契約を結ぶ」、「わたしはあなたの神である 」と御自身を差し出されます。イスラエルの民はそんな神さまと契約を結んでいただいて、神の民として選ばれました。旧約聖書はそのように語ります。新約聖書は新しい契約を結ばれます。イスラエルの民の中に、神の御子イエス・キリストがお生まれになり、全人類の罪を贖うために十字架に死なれ、三日目に死に勝利されて復活され、罪と死の呪いからわたしたちを解放してくださいました。レビ記26:40からの御言葉のように、Ⅰヨハネ1:9に《自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます》とあります。イエスさまの十字架と復活という神さまの新しい契約が差し出されています。いつでも神さまはこのイエスさまの十字架と復活という新しい契約を思い起こしてくださいます。神さまはヤコブとわたしの契約、イサクとわたしの契約、アブラハムとわたしの契約を思い起こし、忘れることがないと仰せられます。ましてや御子イエスさまの十字架と復活という新しい契約、あなたとわたしの契約を思い起こし、忘れない。

神さまはあなたに御子イエスさまをお与えになって契約を結んでくださり、十字架と復活によって罪と死の呪いから解放してくださいました。あなたが偶像礼拝と安息日を守らなかった罪を告白し、悔い改め、神さまに立ち帰るときに、イエスさまの十字架と復活の新しい契約を思い起こし、忘れないでくださいます。そして「わたしはあなたの神である」、「わたしはあなたの主である」と新しい神の民に選んでくださいました。この神さまが差し出してくださっている一方的な恵みであるところの新しい契約、罪と死の呪いから解放してくださるイエスさまの十字架と復活の契約、神さまはこの契約を決して忘れるお方ではありません。あなたはイエスさまを信じる信仰によって結ばれています。この神さまの契約を忘れてはなりません。

<< 前週「」 | 次週「」 >>
日本基督教団 赤羽教会
〒115-0042 東京都北区志茂2-56-4 TEL03-3901-8939 FAX03-3901-8990
このページは、自称赤羽web委員会(略してAWA)により作られています。