日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]成長する教会の秘訣

大友英樹牧師
2019年7月27日
エフェソの信徒への手紙4:7-24

先週の15日、16日とホーリネスの群の夏期聖会が赤羽教会を会場にして開催されました。118名の方々が参加し、会場教会である恵みとして、教会からも20名の方々が参加して、聖会の恵みに浴することができました。今日の礼拝はその聖会の恵みを分かち合うために、聖会での主題聖句を取りあげることにいたします。今回の夏期聖会の主題は、「キリストの愛のうちに建てられて」ということで、エフェソ4:16が主題聖句でありました。《キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです 》。

エフェソの手紙は壮大なスケールでキリスト教信仰を語ります。最初の1章から、父・子・聖霊の三位一体の神が、天地創造の前からイエス・キリストにあって神の子としようとあなたを選んでくださり、御子イエス・キリストの十字架の血によってあなたの罪は贖われ、赦されて、そして聖霊が注がれて救いの恵みを確かにしてくださっていますという信仰の宣言からはじまります。そして2章ではイエス・キリストは平和であり、神との平和、兄弟姉妹との平和、そして神の家族である教会へと招かれています。3章にはパウロが切なる祈りがあります。信仰によってあなたがたの心の内にキリストが住まわれるように、そしてキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを知ることができるようにという祈りです。そして4章からはこの信仰に導かれた者として、イエス・キリストの救いに招かれた者としてこのように歩みなさいと実践的な勧めがはじまります。今日の4章はその最初のところです。どういうことが勧められているでしょうか。それは「キリストの体を造り上げていきなさい」ということです。

11節には教会には使徒、預言者、福音宣教者、牧者、教師が立てられているとあります。これはわたしたちで言えば牧師、伝道者のことになります。この牧師、伝道者が立てられているのは目的があります。それが12節になります。《こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき》、キリストの体を造り上げること、つまりは教会を造り上げること、わたしたちで言えば、赤羽教会を造り上げること、これがイエス・キリストの救いに招かれた者に勧められる第1の勧めです。教会がキリストの体と呼ばれるのは、イエスさまがこの世界に、この歴史の中に、人となられて、肉体を取ってお生まれくださり、その体を十字架につけて贖いの犠牲となってくださり、そして霊の体をもって復活され、天にお帰りになり、そこから聖霊を注いでくださいました。イエスさまがこの地上で、この世界で、この歴史の中で体をもって十字架に死なれ、霊の体をもって復活してくださった。それゆえにイエスさまの救いの御業をゆだねられている教会はキリストの体と呼ばれます。15節からのところには、そのキリストの体の頭はキリストであり、そしてキリスト者一人一人はその体の部分であるとあります。節々が補い合い、しっかりと組み合わされて、結び合わされて、その部分は分に応じて働いて体を成長させる、つまり教会を成長させる。そのように教会を造り上げていくことが第1に勧められます。

キリスト教信仰の大切なことは、個人の信仰ではないということです。それは教会に結びつく信仰、教会を造り上げる信仰です。もちろんわたしが一人で、聖書を読み、祈り、賛美し、信仰書を読みという個人的なデボーションのときを持つことは大切です。個人的にイエスさまを救い主として受け入れ、罪の赦しをいただくことは大切なことです。使徒信条でも「わたしは信じます」と告白するわけです。しかしその「わたしは信じる」というわたしはどこにいるわたしなのかということが重要です。ポツンとただ一人立っていて、「わたしは信じる」というのではありません。いったいイエスさまの救いはどこで与えられるのでしょうか。聖霊が働いてくださって、個人で聖書を読み、書物で学びということでイエスさまの救いを経験することもできます。しかし聖書は救いというのは、教会と結びつくことが教えられています。「わたしは信じる」というのは、教会の中にいるわたしは信じるということです。教会に導かれて、教会で福音を聞いたわたしは信じるとことです。12節からの箇所には、そういう教会と結びつく信仰が教えられています。

その教会に結びついた信仰というのは、キリストの体を造り上げていくことにあります。教会はキリストの体であって、その体が各部分で組み合わされているように、クリスチャンは一人で信仰を生きるのではなくて、キリストの体の部分となって神の民として信仰を生きるということです。しかもこのキリストの体には聖なる命が満ちていますから、クリスチャンとして成熟し、成長することができます。13節《ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです》。 一人では信仰というものは成長できないのです。クリスチャンがキリストの体、教会にしっかりと組み合わされ、結び合わされていくときに、キリストの体が成長していきます。そしてそこに繋がるクリスチャンの信仰も成長していきます。何が成長するのでしょうか。ここには成熟した人間とあります。それは神の子に対する信仰と知識において、成熟したクリスチャンとなるということです。それには聖書の学びが大切です。信仰の読書が大切です。日々の歩みの中で祈りや賛美が大切です。そのように教会につながり、教会に満ちているキリストの命をいただいて、信仰と知識において成長する。それがまたキリストの体である教会を成長させる。教会につながるクリスチャンの成長と教会の成長というのは連動しています。恵まれたクリスチャンが造り上げる教会は、恵まれた教会として成長します。その逆もまことです。

17節から《そこで、わたしは主によって強く勧めます》と、キリストの体に結ばれたクリスチャンへの勧告があります。成長する教会、成長するクリスチャンの秘訣がここにあります。キリストの体に結ばれたからには、新しい生き方をはじめなさいという勧告です。《そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや異邦人と同じように歩んではなりません》。それは神を知らない異邦人の罪の生活から離れなさいということです。それは放縦な生活、ふしだらな行いとありますから、倫理的道徳的なことが含まれています。エフェソ教会の異邦人ですから、それまで普通に生活していたことが罪の生活であったわけです。異邦人ですが、異邦人のように歩んではならないというのです。わたしたちも異邦人です。神ならざる神々は知っているけれども、まことの神を知らない異邦人です。聖書を知らない異邦人です。ですから《もはや異邦人と同じように歩んではなりません》、これはわたしたちへの勧告であります。

そこで勧められているのは、22節からのところです。《以前のような生き方をする古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、 神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません》。そのために必要なことは、心の底から新たにされることです。新しく生まれ変わる経験、イエスさまの救いの経験をいつもいただいていることです。形だけ古い人を脱ぎ捨てることも、新しい人を身に着けることもできないのです。本当に心の底から新しくされたクリスチャンは、本当に古い人を脱ぎ捨て、本当に新しい人を身につける。それがきよめの恵み、ホーリネスの恵みです。「清い生活を送るように」とありますが、新しい翻訳聖書では「真理に基づく義と清さのうちに、神にかたどって造られた新しい人を着なさい」となっています。新しい人を着てから清い生活を送りなさいというのではなくて、神さまからきよめの恵みをいただいて、新しい人を身につけなさいというわけです。脱ぎ捨てるのも、身に着けるのも、少しずつ脱ぎ捨てるとか、身に着けるということではありません。ここでの聖書の御言葉はさっと脱ぎ捨てる、すぐに身に着けるということです。これまでの異邦人の習慣という古い人を脱ぎ捨てるとき、そこに神さまがきよめの恵みを与えてくださいます。そしてその上を覆うように新しい人を身に着ける。

キリストの体である教会の成長の秘訣は、ここにあります。信仰と知識において成熟しているクリスチャンとともに、古き人を脱ぎすてて、クリスチャンとして異邦人の罪を脱ぎ捨てて、きよき者とされて、新しい人を身に着ける。きよめの恵みです。きよめの恵みをいただいたら、古い人ではなくて新しい人を着る。新しい人がキリストの体を造り上げていく。古い人がキリストの体を造り上げ、成長していくことはできません。清い生活を送るようにというとたいへんと思いますが、そうではなくて神さまがあなたをきよめてくださって、新しい人を身に着けさせてくださいます。成長する教会の秘訣は、新しい人を身に着けたクリスチャン、きよめの恵みをいただいているクリスチャンが教会を造り上げることです。

 

 

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