日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]幼子とヘロデ

武石晃正伝道師
2019年8月11日
マタイによる福音書2章13-23節

7月は行事の都合でお休みをいただきましたが、6月に引き続きキリストの降誕にかかる箇所でございます。8月の暑い盛りですが、夏の暑さに負けずこちらも暑苦しく参りたいと存じます。

マタイによる福音書はイエス・キリストの系図に始まりますが、これはキリストがユダヤの歴史上に実在したことを示すものです。神の子が幼子として生まれ、母マリアとその夫ヨセフの間に迎えられたことで、地上において神の家族が実現しました。

このユダヤ人の王として生まれた方は、ユダヤ人ではなく異邦人である東方の学者たちによって礼拝されました。この幼子の運命やいかに。

1.「夢見るお方」ヨセフ

イエス・キリストの系図とありますが、実はこの系図はマリアの夫ヨセフの出生を示すものでもあります。そしてマタイによる福音書は2章までの短い部分を、このヨセフを軸に展開されることになります。

さてヨセフという名を当時のユダヤ人が聞けば、恐らく真っ先に思いつくのは創世記のヨセフだったでしょう。イスラエルと呼ばれる父祖ヤコブの12人の息子の一人で、ヤコブが愛して止まなかった妻ラケルが産んだ子です(創世記30:22-24)。彼はヤコブが年を取ってから生まれた子なので特別に贔屓をされて育てられました。そればかりか特別な夢をみたことを自慢げに話していましたので、とうとう兄たちの妬みを買いました。彼の兄たちはヨセフを「夢見るお方」とあだ名し、殺意を抱きつつもエジプト行きの隊商に売り飛ばすことにしました。その後の顛末についてはここでは省略しますが、後にヨセフは身分を隠しイスラエルの族長たちをエジプトへ移住させることになりました。彼はイスラエルの家族を干ばつと飢饉から守るためにエジプトへと導いたのです。

福音書の著者マタイはそのことを意識しているように見えます。マリアの夫ヨセフも創世記のヨセフと違わずに、「夢見るお方」であるかのように記されています。ことの起こりとして受胎告知、婚約中のマリアが神の聖霊によって身ごもっていることとの天使のお告げを夢の中で受けました(1:21)。そして今回も天使が夢に現れて、エジプトへ逃げるように命じたのです(2:13)。イスラエルの地へ帰る時にも、同じように夢で天使が現れました(2:20)。

さて天使のお告げとは言え、命じられてすぐにエジプトへ出かけることができたものなのでしょうか。もちろん現代のツアーパックのようには参りませんが、ユダヤとエジプトを行き来することは可能だったようです。

ユダヤは今でいうところのパレスチナ、地中海に面したユーラシア大陸の隅に位置していおりアフリカ大陸に接しています。ですから交通の要所となっており、利権を狙って大国が何度も攻め込んでくる土地柄でした。東からはユーフラテス川に沿って北回りでアッシリアやバビロニアが侵攻したこともありますし、あるいはヨーロッパ側からはギリシャのアレクサンダー大王がエジプトまで遠征する際に行軍していきました。ヨセフの時代にはローマ帝国の軍隊を駐留していましたが、エジプトやエチオピアなどアフリカと交易をする隊商は比較的自由に行き来していたようです。

またエジプトについては歴史的にはバビロン捕囚を逃れようとしたユダヤ人が移り住んでだ経緯があります(エレミヤ43章)。その後もアレキサンドリアあたりにはユダヤ人たちのコミュニティがあったようです。ですから先立つ物(路銀と滞在費用)さえあれば、隊商に紛れて彼らの下へ寄留することはそれほど困難ではなかったでしょう。

マリアとヨセフはもともとガリラヤのナザレに住んでいた人たちです。ルカによる福音書によると、二人は過越祭には毎年エルサレムを参拝していたことが分かります(ルカ2:41)。ですからベツレヘムに住んでいたのではなく、この時も祭りの慣習に従って上京していたのでしょう。家財をまとめて引越しをしたのであれば大掛かりですが、旅支度を整えなおすだけでエジプトを目指すことができました。

天使の夢を見たヨセフは夜中にふと目を覚まします。

「ねぇ、マリア。起きてよ」

「なぁに、ヨセフ。まだ夜中じゃいの。今晩はもうおしまいにして」

「そうじゃないんだ、マリア。また天使が現れたんだ」

「え、どうしたの」

「天使がお告げで、君と子どもを連れて逃げるように言ったんだ。

マリア、僕は君を愛している。そしてこの子も守りたい。

だから一緒にエジプトへ逃げよう。」

と、こんな感じかどうかは定かではありません。

連れて逃げてよ、ついておいでよとは駆け落ちの唄の文句にございます。既に二人は結婚していますから、駆け落ちとは事情を異にいたします。とは言え夜中の旅立ちでございます。実にミステリアスな逃避行が始まりました。

夜のうちに(14)とありますが、もちろん夢を見てから夜明け前までにエジプトまで到着したというわけではありません。朝を待たずに行動を起こしたとの読み方がよろしいようです。いずれにしても夜中に起こされたマリア、暗がりで自分と幼子の身支度をする心境はいかほどだったでしょうか。お察しいたします。

ところでこの出来事をマタイはどこから知ったのでしょうね。この事件の当時はまだ弟子になっていませんから、当事者から聞くほかありません。主イエス様が公の働きに出られる頃にはヨセフは既に亡くなっていたようですから、恐らくマリアから聞いたのではないでしょうか。

マタイが弟子入りした時にイエス様は30歳を過ぎておりましたので、マリアもそれなりのお年頃。女性の年齢なので詳しくは申しませんが、当時のユダヤであれば孫を抱いたり手を引いたりしていてもおかしくありません。弟子を抱えて人々からも慕われ、たいそう立派になった我が子の姿に、在りし日のご主人を重ねて眺めていたかもしれません。

と随分おばあちゃん扱いしてしまいましたが、当時の実年齢でいえば今の僕とそれほど変わりません。2000年前に生まれていたら是非お目にかかりたかったものですね。

「イエスがまだ小っちゃかった時にあたしたちベツレヘムに来てたでしょ。そこに外国の偉い人たちが急に押しかけてきたのよ。とってもいい香りがする香料とかを差し出してね、イエスのことを『ユダヤ人の王様』なんて言って拝んで行ったのよ」

「その人たちはすぐに帰っちゃったんだけど、お部屋の中はずっといい香りがしてて幸せな気分だったわ。そうそう、その晩よ。ヨセフったらね、この時もすごかったのよ・・・」と懐かしそうに語ったかもしれません。ほとんどノロケです。ごちそうさまです。

思い立っての旅立ち、間一髪の逃避行。振り返れば事の大きさに、マリアはどれほどヨセフを頼もしく感じたことでしょうか。エジプトへ向かった時点でのマリアは母親になったとは言え、まだ14,5歳にすぎません(受胎告知を12,3歳とする場合)。イエス様が生まれてから二人は夫婦として結ばれたわけですが、授乳が落ち着きはじめてようやくこれからというところでしょう。

子どもを連れておりますが今回のエジプト逃避行はちょっと長めのハネムーンかもしれません。吊り橋効果も相まってマリアとヨセフはラブラブな新婚カップルに思えてなりません。今日は詳しく見ませんが、マリアとヨセフが仲良し夫婦だったことは福音書の中からこっそり伺うことができます(マタイ13:55、マルコ6:3)。

かくして幼子イエスは母マリアの夫ヨセフの英断によってエジプトへ逃れ、また暴君アケルラオからも守られてナザレを「故郷」とすることになりました。以後はマリアとヨセフの子として成人するまでナザレに住まわれました。

福音書においてヨセフの役目はここで終わります。創世記のヨセフとは異なり葬りの場面もございません。このヨセフの活躍によって、母マリアも幼子イエスもその命が守られたのです。肉体をとった神の子は、このヨセフを通して頼るべき父親像を体感されました。ヨセフについてこれ以上の記述がないのは、父なる神様との混同や神格化を避けるためかもしれません。しかし彼なしには救い主キリスト、ナザレ人イエスの出現はなかったと言っても過言ではありません。

今年のクリスマスあるいは来年の父の日に、主の父ヨセフのことをふと思い出してみてください。もしかすると主の祈りを唱える折に、「父よ」との呼びかけに主イエス様の息遣いや体温を感じられるかも知れません。

2.ヘロデによる幼児虐殺

一方、ユダヤの王宮では大騒ぎとなっています。ベツレヘムという町の名前まで調べた上で出かけていった東方の学者たちが、いつになっても戻ってくる気配がないのです。ヘロデ大王はカンカンに怒ってしまいます。

「わたしも行って拝もう」(8)などと心にもないことを平気で言ったくせに「だまされた」(19)とはいかがなものでしょう。言葉を変えればまんまと出し抜かれて、顔に泥を塗られた体です。王様というよりもギャング映画のボスのようです。「あいつらグルになって俺のことナメやがって。見せしめにしてやる」とベツレヘム一帯の幼子を殺す命令を下します。2歳以下とありますが、現在の数え方では満1歳までの幼子となります。

当時のベツレヘムの人口は300人ほど、周辺を含めて多く見積もっても1000人は超えないだろうと言われています。そのうち2,30名の幼子たちがしらみつぶしに探し出されて殺害されました。なんとむごいことです。

同様の出来事が旧約聖書の中にもありました。出エジプト記の冒頭ではイスラエル人が増えすぎるという理由で、男の子が生まれたらただちに殺せというファラオの命令が下されます。その中から奇跡的に命を救われたモーセが、後に神の民をエジプトから救い出すことになります。幼子イエスも間一髪のところで追手から逃れ、公にご自身を現したときに神の国の教えと新しい契約を私たちにくださったのです。

この箇所を読むたびに大変心が痛みます。聖書はヘロデの凶荒に関しての直接の評価は沈黙しています。ただ預言者エレミヤのことばとして深い悲しみの歌を記しているだけです。神様は悪を悪として見逃すことはないとしても、むしろ痛み傷つき悲しむ小さな者たち一人一人に憐みの目を注いでくださることを覚えます。

3.幼子とヘロデ

この世の支配者がどれほど強大で横暴であろうと、人間の知恵と力では神様の救いのみわざを壊すことはできません。「高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ロマ8:39)とのみことばは真実です。

説教題を「幼子とヘロデ」と付けましたが、ここまでで幼子イエスご自身が何かをしたとの記述はありません。お生まれになってからこのかた、神の子でありながら人間の手に委ねられたままです。飼葉桶に寝かされるときにすっくと立ちあがって「わたしは神の子キリストである」などとしゃべったわけでもありません。40日のきよめの期間も母マリアの腕に抱かれて乳を吸うことしかできませんでした。

ナザレに帰る時も再びベツレヘムへ来た時にも葦か何かで編んだ籠に寝かされていたか、スリングというのでしょうか抱っこやおんぶをする布にくるまれていたでしょう。神の子でありながら何とも無力なです。どこへ行くとも知らずに、ただ運ばれるままに連れて行かれるのです。

しかしここに信仰者のあるべき姿が示されます。主キリストが神の子であるならば、子とされた私たちは更に幼い者であるわけです。父の手の内に身をゆだねることしかできない幼子に過ぎません。あの信仰の父と呼ばれるアブラハムでさえ、その信仰によって「行く先を知らずに出発した」(ヘブライ11:8)と聖書は記しています。彼の何か立派な行動についてではなく、その従順さを私たちに示しているのです。

一方でヘロデあるいはその息子アルケラオについて、聖書はその評価を沈黙しています。彼らは人をだまし、幼子を虐殺し、人々から恐れられるような支配者でした。更にその上に君臨していたローマ皇帝に至っては、神を神とも恐れないどころか自らを神とする者もあったわけです。しかし聖書はこれらの異邦人の為政者について、その政治を批判したり裁いたりしてはおりません。

幼子は神の子として神のご計画のうちにあり、この世の支配者であるヘロデの意向の及ばないところに置かれました。神の子と彼を受けいれる者たちとともに神の国がありました。ヘロデに代表される地上の権威に対して、神の国は戦わずして勝利したのです。

<まとめ>

幼子イエスはやがて大人になり、ユダヤ全土へ神の国を説いて回ります。神の国の到来あるいは神の愛の実践を説くことはあっても、この世を良くしようとか政治を変えようとは教えませんでした。むしろ人々をつまずかせないよう神殿税を納めさせ(17:27)、あるいは「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」とローマ皇帝への納税をも肯定しました。

また使徒パウロも手紙の中で支配者への従順と義務の履行を説いており(ローマ13:1-7)、別の箇所でも「願いと祈りと執り成しと感謝を」「王たちやすべての高官たちのために」ささげるように勧めています(一テモテ2:1-2)。

ヘロデは怒りに任せてベツレヘム周辺の幼児虐殺という凶行に走りました。幼子イエスは全く意に介すことなく、父の手に身を委ねて保護されました。今の時代においても、政治が良くとも悪くともそれはこの世の支配に過ぎず、天の御国とは何の関わり合いのないことです。

私たちは神の子とされた者、御子に似た者となる(一ヨハネ3:2)幼子です。御父のみこころのままに身を委ね、キリストの妻である教会に抱かれて育まれるのです。

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