日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]2020年4月12日 聖日礼拝順序(イースター礼拝) 復活節第1聖日

大友英樹牧師
2020年4月11日
ヨハネによる福音書20章11~18節

1.黙祷

2.招詞 詩編118:23-24

3.頌栄 新聖歌166(歌詞を読むだけでもよい)

4.祈り

5.主の祈り

6.使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。

我は聖霊を信ず。

聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン

7.ワーシップソング 主は今生きておられる(歌詞を読むだけでもよい)

8.献金(後日、礼拝に来られた時に献金してください)

9.感謝の祈り            

10.ワーシップソング  御手の中で(歌詞を読むだけでもよい)

11.教会聖句 使徒言行録16章25節

12.聖書 ヨハネによる福音書20章11~18節

13.説教 『わたしは主を見ました』(声に出して朗読してください)

 イエスさまが十字架に死なれてから3日目の朝、それは日曜日の朝の出来事です。まだ暗いうちに一人の女性がイエスさまの墓に向かっていました。マグダラのマリアという人です。マリアはイエスさまから病気を治していただいてから、イエスさまや弟子たちの手伝いをしていました。しかし自分の病気を治してくださったイエスさまが十字架に死んでしまった。マリアは深く悲しんでいました。イエスさまの墓に行きますと、入り口を塞いでいた石がとりのけてあります。どうしたのだろうと中を覗くと、イエスさまがいなくなっています。急いで引き換えし、イエスさまの弟子たちに知らせに行きました。まだ暗いうちでしたから、弟子たちは寝ていたかもしれません。マリアの知らせに驚いて、ペトロやヨハネはすぐさま起き上がって、イエスさまの墓に行きます。そして墓の中に入ってみました。たしかにイエスさまの体がありません。

 ペトロとヨハネが帰って行きました。しかしマリアは一人墓の外に立って泣いていました。墓の中を覗くと、白い衣をつけた天使が座っていました。天使が「なぜ泣いているのか」と尋ねると、「イエスさまがいなくなってしまったのです」。そうように言いながら後ろを振り返ると、イエスさまが立っているのが見えました。しかしマリアはそれがイエスさまだと分かりませんでした。イエスさまも「なぜ泣いておるのか。だれを捜しているのか」と尋ねると、マリアが泣きながら訴えます。「あなたがイエスさまを運び去ったのでしたら、教えてください。わたしが引き取ります」。取り乱して泣いているマリアは、そのとき懐かしい声を耳にします。「マリア」。マリアはもう一度振り向いて「ラボニ、先生」と呼びかける。そこに立っておられるのは、紛れもなくイエスさまです。マリアは弟子たちのところの再び向かいます。家の扉を開けて中に入るやいなや「わたしは主を見ました」。その表情は最初にイエスさまがいなくなってしまったと悲痛な思いで伝えたときとは違います。満面の笑みをたたえて、「わたしは主を見ました」と語り伝えたことでありましょう。

このマリアから二つのことを学びたいと思います。一つめはどこを見ているかということです(14節)。マリアはイエスさまを納めた墓を見ていました。それはイエスさまの死を見ていたということです。それは十字架の死です。19章25節には、マリアはイエスさまの十字架のそばに立っていたとありますから、ありありと十字架の光景を思い起こしたことでしょう。マリアにとっては自分を病気から癒してくださったお方、自分の生涯をかけてお仕えしたいと願っていたお方、そして旧約聖書が約束するメシア、救い主ではないかと期待をしていたお方、そのお方が死んでしまった。そしてその遺体すらなくなってしまった。これからイエスさまの墓を守っていこうとしていたかもしれませんが、そういう望みも消えてしまった。何もかも失われてしまった。イエスさまの死だけでも絶望的なことでありますが、イエスさまの体が消えてしまった。マリアには絶望と悲しみの極みであった。

そのマリアに声がかけられます。まず天使から「なぜ泣いているのか」、マリアは答えながら振り向きます。そこにはイエスさまが立っていましたがわかりません。まだ墓の方に目を向けて泣いてしまったのでしょう。今度はイエスさまが声をかけます。「なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか」。マリアは園丁だと思って、墓に目を向けながら答えます。そのときもう一度マリアは振り向きます。イエスさまの「マリア」という声に、それまで霧がかかっているようにわからなかったイエスさまを見ました。マリアの顔は驚きと歓喜に溢れた満面の笑みとうれし涙にぐちゃぐちゃであったかもしれません。マリアは振り向きました。どこから振り向いたのでしょか。イエスさまの十字架の死によってもたらされた絶望と悲しみ、恐れと不安、失われたわたしの生きがい、失われたわたしの希望、そういうものを見ていました。聖書は天使とイエスさまがそれぞれ声をかけられて、二度にわたってマリアを振り向かせます。マリアが振り向くと、そこにイエスさまが立っておられる。最初はわかりませんでした。しかしそれでも繰り返しイエスさまの方に振り向かせる。「なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。振り向きなさい。イエスさまを見なさい。わたしを見なさい。マリアのように、イエスさまの十字架の死を見ること、思いを寄せること、思い起こすこと、悲しむこと、それは決して間違ってはいません。しかし聖書は振り向きなさい。死に勝利されて、復活されたイエスさまの方に振り向きなさい。いつまでも十字架の死ばかり見つめていても、それは何の解決もありません。マリアは復活されたイエスさまの方に振り向いて、そこから、イエスさまの復活から十字架の死を見つめることが求められます。ただ十字架の死だけでは、「だれを捜しているのか」と言われたとき、正しく答えることができません。十字架に死んだのは、イエスさまとときには他に二人いました。この二人の人とイエスさまの十字架は同じです。なぜイエスさまの十字架が尊いのか。それに答えることができません。振り向いて、死に勝利されて復活されたイエスさまから十字架を見るときにはじめて、「だれを捜しているのか」と答えることができます。

もう一つはだれを見たのかということです(18節)。「わたしは主を見ました」、これがマリアの伝えた目撃証言です。わたしは見た。わたしは出会った。そういう目撃証言、証人というのは重要です。イエスさまが復活されたイースターというのは、この目撃証言、証人の告知に基づいています。使徒言行録1章にはイエスさまを裏切ったユダに代わって、マティアが12人の使徒に選ばれました。そのとき強調されていることは、「主の復活の証人になる」ということでした。わたしたちは今日、イースターを祝う礼拝をささげているのは、このマリアから始まる主の復活の証人の目撃証言に基づきます。マリアが弟子たちのところに行って、「わたしは主を見ました」と伝えると、その夕方イエスさまが弟子たちがいる家にご自身をあらわされます。そして弟子たちは「わたしたちは主を見た」と目撃証言をします。「わたし」から「わたしたち」というようにイエスさまの復活の証人が加わって、この目撃証言が世界に、この日本に、わたしに伝えられた。そしてわたしたちはその目撃証言を信じているのです。

大事なことは、だれを見たのかということです。イエスさまが復活された。イエスさまに出会った。それではそのイエスさまは誰なのかということです。マリアは天使から「なぜ泣いているのか」と尋ねられました。天使というのは神さまの救いの御業に仕えることがその働きです。天使から声をかけられてふり返ると、そこにイエスさまが立っていました。イエスさまから声をかけられて再びふり返るとイエスさまが復活されたことがわかりました。そして「わたしは主を見ました」と告げたのです。この「告げる」という言葉は、天使と同類の言葉です。天使は神さまの救いの御業に仕える働きをするように、「わたしは主を見ました」という目撃証言は、「わたしは神さまの救いの御業を見ました」と語っていることと同じです。「わたしは主を見ました」「わたしは神さまの救いの御業を見ました」それが十字架に死んで復活されたイエスです。イエスさまは主なるお方です。この20章にはこのマリアの物語の中に3回ほど「主」キュリオスという言葉があります。2節「主が墓から取り去られました」、13節「わたしの主が取り去られました」。いずれも主人、先生という意味合いが込められています。しかし18節の「わたしは主を見ました」のキュリオスは違います。神さまの救いの御業であるところ主を見ました。それは主人や先生ではありません。イエスさまがマリアに尋ねた「だれを捜しているのか」との答えは、「わたしは主を見ました」、「イエスさまは主です」、「イエスさまは救い主です」、この後にトマスが登場しますが、トマスがイエスさまに「わたしの主、わたしの神」と告白するように、「イエスさまは神であられます」という信仰の告白です。マリアは天使とは違いますが、天使のような働きを担ったのです。神さまの救いの御業を告白したのです。イエスさまが全人類の罪の身代わりに死なれ、死に勝利されて復活された。「わたしは主を見た」という目撃証言は、わたしは十字架と復活という神さまの救いの御業を見た、神さまの救いの御業を成し遂げられた主を見たという告白です。イエスさまはだれなのか。主人なのか、先生なのか、偉人なのか、救い主、神なのか。マリアの目撃証言は、「わたしは主を見た。救い主を見た。神を見た」という告知です。

わたしたちは「どこ」を見ていますか。十字架だけを見ていますか。十字架だけでは絶望と悲しみだけです。イエスさまの復活を見て、そこから十字架を見ていますか。わたしたちは「だれ」を見ていますか。わたしたちの主はどういうお方ですか。

(応答の祈りをしてください)

14.讃美 新聖歌127(歌詞を読むだけでもよい)

15.報告

①先週集会 礼拝50名、聖書研究祈祷会・リバイバル祈祷会(牧師のみ)

②今週の予定 13日:hi-b.a高校生集会(オンライン企画あり)

14日:常田家集会(休会)

15日:聖書研究祈祷会(休会)

③教会便り 

・ユースにお勧め賛美動画「なんて麗しい名」

・礼拝は5月10日まで7時の早朝礼拝、10時の合同礼拝(第1礼拝形式)

・聖務表の奉仕は5月10日までキャンセルとします

・2階ロビーに新しい机と椅子が設置されました。伝道部で検討して、使いやすい配置ができるものにしました。

・教会総会報告書は前年度の担当の方が作成し、4月19日迄に提出してください。

④次週予告 ・7時:早朝礼拝 10時:合同礼拝

説教・子どもメッセージ・司会)大友師 奏楽)大友姉 投影)大友兄

        ・礼拝以外の集会は休会となります。

16.頌栄 新聖歌63

17.祝祷

主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同の上に豊かにあるように アーメン

18.黙祷

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