日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]2020年7月12日  聖日礼拝順序 聖霊降臨節第7聖日

大友英樹牧師
2020年7月12日
ガラテヤ5章1-6節

2020年7月12日 聖日礼拝順序 聖霊降臨節第7聖日

1. 黙祷

2.招詞 詩編100:1~3

3.頌栄 60(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

4.新聖歌18(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

5.詩編交読 詩編49:13~21

6.祈り

7.新聖歌 140(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

8.主の祈り

9.使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。

我は聖霊を信ず。

聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン

10.ワーシップソング 小さな祈り(YouTubeで検索してください)

11.教会聖句 使徒言行録1625

12.聖書 ガラテヤ5章1~6節

13.説教 『ただキリストに結ばれる』(声に出して朗読してください)

 《この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです》。キリスト教信仰の恵みは、自由が与えられることです。新聖歌264番に「われ贖われて、自由にせられ、キリストにありて、やすき身なり」と歌われていますように、自由は「われ贖われたり」という恵みです。イエスさまの十字架によって贖われる。神さまのものとされる。贖うという言葉自体はお金を払って買い取るということですが、神さまはお金に変わってイエスさまご自身を十字架にささげてくださって、わたしたちをご自身のものとして買い取ってくださいました。それは罪から解放されて、すべての重荷から解放されて、すべての恐れから解放されて、まことの自由を得る恵みです。神さまのものとされる。神さまと相応しい関係を結ぶ。これが自由です。しかし人間というのは、それは不自由だと思ってしまいます。神さまから自由になることが自由だと思ってしまう。自分の思うように自分の人生を生き、自分の思うように神を作り、自分が思うように支配しようとする。しかしそれこそが聖書が語るところの人間の罪の姿です。自由であると思っているかもしれませんが、気づいていないかもしれませんが、罪の奴隷にされている。奴隷の軛につながれている。《だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません》。

 軛というのは、畑を耕すときに家畜の首のところをつなぐもので、家畜が自由に動き回らないで、まっすぐに畑を耕すようにつないでいるものです。パウロはガラテヤの教会の人々に、あなたがたはかつては奴隷の軛につながれていたではありませんか。罪の奴隷です。偶像礼拝の奴隷です。4:8からのところに《あなたがたは、かつて、神を知らず、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。しかし、今は神を知っている、いや、神に知られているのに、なぜあの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか》とあるとおりです。そういう罪から自由にされた。偶像なる神々から自由にされた。このときにはこの神、このときにはあの神という神々の奴隷から自由にされた。わたしたちも同じです。「私は主である。私のほかに何ものをも神としてはならない」という十戒の第1の戒めを知らざる時は、神を知らず、もともと神でない神々の奴隷となっていたのではないでしょうか。偶像礼拝の罪の中につながれていたのではないでしょうか。おのが腹を神とする自己中心の罪の中につながれていたのではないでしょうか。イエスさまによって罪を知らされ、罪の奴隷であることを知らされ、神さまから離れた人間のあるべき姿ではないことを知らされ、罪赦され、自由にされ、神との平和をいただいてまことの自由を生きる。それがわたしたちクリスチャンの姿です。聖書はそんなわたしたちに、《だから、しっかりしなさい》と命じ、勧めています。

 《しっかりしなさい》、これはぐらぐらしているような人に、その心の持ちようをきちんとしなさいというような、叱咤激励するようなことではありません。これまでの聖書翻訳では「しっかり立つ」「堅く立つ」というように訳されてきたものです。新しい聖書協会共同訳でも「しっかり立って」と訳しています。自由の身とされたのだから、しっかり立ちなさい、堅く立ちなさい。罪赦されて、自由にされたのだから、しっかり立ちなさい、堅く立ちなさい。それは救いの恵みを失ってはならない。神さまとの相応しいあるべき姿を失ってはならない。だからしっかり立ちなさい、堅く立ちなさい。

 ガラテヤの教会の人々が、《奴隷の軛に二度とつながれてはなりません》と言われているわけですが、それは奴隷の軛に再びつながれそうになっているということです。あなたがたがしっかりと立っていないから、再び奴隷の軛につながれそうになっているという警告でもあります。どういう奴隷の軛につながれそうになっているのでしょうか。

 まず割礼という軛です(2節)。パウロのあとにガラテヤの教会にやってきたユダヤ人キリスト者が、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ救われない」と言い広めていました。旧約聖書に割礼を受けること、それがユダヤの民のしるしであり、さらには神さまと契約のしるし、神の民とされたしるしということでありました。生まれて8日目に男の子は割礼を受ける。それが神の民の一員に加えられるというのです。幼児洗礼を授ける教会ではこの子供の割礼が幼児洗礼の根拠とされています。幼児洗礼を受けることでこの子供も神の民に加えられるというのです。ユダヤ人キリスト者は、もともと割礼のある人々ですから、自分たちと同じようになることを求めたわけです。しかし割礼というのは、肉体的にも厳しいものですが、それは自分がユダヤ人になる、帰化することです。それはとてもハードルが高いものです。それを越えなければ、本物のクリスチャンにはなれない。本当の救いが与えられない。使徒言行録にも、ユダヤ教の会堂に礼拝に集っている神を敬う異邦人というのが登場します。彼らは神を敬うものですから、聖書に従い、律法に従いという生活をしています。しかしどんなに神を敬う者であっても神の民とはなれません。最後のハードルが割礼なのです。そこを超えれば神の民となる。ガリラヤの教会の人々は、本物の神の民となるという割礼を受けるべきかどうか、そういうような割礼の軛につながれそうになっています。

 二つめが律法という軛です(4節)。割礼というのは男性だけのことになりますが、律法によって義とされようとするという軛は、すべての者にかかわることです。先ほどお話しした神を敬う異邦人も、律法を守るということついては努めていたわけです。異邦人であるガラテヤの人々が、イエスさまをお与えくださるほどの愛してくださるまことの神を教えられ、その神さまが与えてくださった律法、たとえば十戒を示されて、これが神さまのみこころなのだと教えられる。それは異邦人の世界とは全く違う唯一なる神さまの恵みとそこから命じられる倫理的な生き方、安息日を聖とせよ、父と母を敬え、殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない、偽証してはならない、むさぼってはならない、こうした教えに従うということは大切なことです。しかしこれを守れば救われるのか。それよりも守ることなどできるのだろうか。イエスさまは父と母を敬えとあるけれども、これは神殿へのささげものですと言えば、敬わなくてもよいと言っているではないかと非難しています。わたしたちにしても本当に父と母を敬い続けられるのか。それを守ることができるかと言われれば、それは生涯の終わりにならなければわかりません。マタイ福音書5章からの山上の説教の中で、イエスさまは殺すなと命じられているけれども、兄弟に腹を立てる者、バカという者、それは殺人と同じであると言います。姦淫するなと命じられているけれども、みだらな思いで見た者は姦淫している。そういうことであれば、律法によって義とされよう、救われようなどということは到底できないではないかということです。当時のユダヤ教では613の律法があったと言われますが、全部守り切りましたと言うことができるだろうか。パウロ自身、律法を守る点では熱心で落ち度がなかったと言いますが、律法によっては罪の自覚しか生じないとも言っています。守れば守るほど、不十分な自分が見えてくる。あなたがたは律法によって義とされようとしているのですか。救われようとしているのですか。それは律法という軛につながれそうになっているのではありませんか。

 わたしたちの聖書は語っています。2節(もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります)、4節《律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います》。自由とされたものが、再び奴隷の軛につながれそうになっているのではありませんか。それはキリストが何の役にも立たない方になってしまします。キリストとは縁もゆかりないものとなってしまいます。せっかく救われたのに、その救いの恵みも失われてしまいます。だからしっかりしなさい、しっかり立ちなさい。どこにしっかりと立つのですか。イエス・キリストです。イエスさまの十字架の恵みです。7節《キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です》。律法は大事です、しかし律法を全部守り切れないわたしを、律法ではない、わたしの十字架があなたの罪を赦して自由にするのだとイエスさまがご自身を差し出してくださいます。そのイエスさまにしっかりと立ちなさい。イエスさまに結ばれることです。結ばれるというと外からつながるかんじがしますが、これはエン・キリスト、つまりイエスさまの内にある、イエスさまの中に包まれるということです。これで大丈夫だろうかとわき目をする必要はありません。これを達成しなければと躍起になることはありません。ただイエスさまの十字架にしっかりと立ちなさい。イエスさまの十字架の恵みの中にしっかりと立ちなさい。キリストに結ばれること、そこに罪赦された者だけが味わう本当の自由があります。

(応答の祈りをしてください)

14献金(後日、礼拝に来られた時に献金してください。教会の口座に送金することもできます)

讃美 新聖歌427(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

15.感謝の祈り 

16.報告

  ①先週集会 礼拝66名(HP・メール・faxの方を含む)

聖書研究祈祷会14名

リバイバル祈祷会1名

  ②今週の予定 15日:聖書研究祈祷会 Ⅰ司会)常田姉 Ⅱ司会)大友姉

16日:東京聖書学校作業

18日:ライフライン(8時・テレビ埼玉)

  ③教会便り ・ユースにお勧め賛美動画「新しい歌を主」

        ・メールやファックスでの礼拝人数は把握できますが、HPでの人数が把握できませんので、お手数ですがメールで「HPで礼拝しました」と送信してください。

         HP等への掲載は次週までとなります。

メール pastor@akabanechurch.jp fax 03-3901-8990

        ・先週献金くださった方の献金は、本日の礼拝でささげます。

・振替口座に送金される方は、献金種別を記載してください。

          振替口座 00170-7-80756 名義 日本基督教団赤羽教会

        ・ゆうちょ銀行口座に送金される方は、メールなどで献金種別をお知らせください。

          店名〇〇八〔読み方 ゼロゼロハチ〕 店番008

          普通預金・口座番号1978382

       ・⑴会堂掃除(礼拝後・土曜日)は7月から開始となります

⑵聖務表の奉仕も再開していますが、難しい場合には申し出てください。

⑶今週、北区の感染者は13名です(7/9現在)

・「夏期感謝献金」(予算は65万円)、上半期の恵みを覚えておささげしましょう。

・本日、「聖城7月号」、「礼拝等集会について」、「祈りのグループ」を配布しました。

・次週は礼拝後、各部会を短く開きます。

・***** 夏の集会予告 *****

7月21日(火) 「東京聖書学校聖会」(YouTubeでつなげる予定です)

8月10日(月) 「ホ群ユースデーキャンプ」(赤羽)

 ④次週予告 ・7時:早朝礼拝

 ・9時30分:礼拝Ⅰ(SS合同)  子どもメッセージ:赤岩神学生 説教:大友師

 ・10時45分:礼拝Ⅱ 説教)大友師

 ・各部例会 (礼拝後)

        ・礼拝以外の集会は休会となります。

17.頌栄 新聖歌63(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

18.祝祷

  主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同の上 

豊かにあるように アーメン

19.黙祷

日本基督教団 赤羽教会
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