日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]2020年7月19日  聖日礼拝順序 聖霊降臨節第8聖日

大友英樹牧師
2020年7月19日
ガラテヤ5章7-15節

2020年7月19日 聖日礼拝順序 聖霊降臨節第8聖日

1. 黙祷

2.招詞 詩編10:1~

3.頌栄 60(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

4.新聖歌23(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

5.詩編交読 詩編96:7~13

6.祈り

7.新聖歌 140(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

8.主の祈り

9.使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。

我は聖霊を信ず。

聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン

10.ワーシップソング 小さな祈り(YouTubeで検索してください)

11.教会聖句 使徒言行録1625

12.聖書 ガラテヤ5章7~15節

13.説教 『自由と愛』(声に出して朗読してください)

先週の礼拝では、5章1節の《この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい》から、イエス・キリストによって罪と死の奴隷の軛から解放されて。自由を得たのだからか、割礼や律法を守らなければ救われないのだという奴隷の軛につながれてはならない。イエス・キリストの中に、しっかり立ちなさいとの御言葉を聞きました。今日の御言葉は、それに続いて、ガラテヤの教会の人々の過去、現在、将来のパウロの言葉からはじまります。

過去は7節です。《あなたがたは、よく走っていました》。「走っていました」。聖書ではよく信仰生活のことを「歩く」と表現することがありますが、パウロは陸上競技になぞらえて「走る」と表現することがあります。Ⅰコリント9章では「賞を得るように走りなさい」、フィリピ3章では有名な御言葉として、「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」とあります。「走る」ということには、躍動感があって、信仰の喜びに生きる姿を生き生きとあらわしているように思います。パウロの伝道によって、イエス・キリストを信じて救われて、信仰の道を走っていましたということです。

しかし現在はどうでしょうか。7節後半に《それなのに、いったいだれが邪魔をして真理に従わないようにさせたのですか》。「真理に従わない」、つまりイエス・キリストだけにしっかり立つという真理、イエス・キリストによって罪から解放されるという真理、その真理に誰が従わないようにさせたのですか。これが現在のガラテヤ教会が直面している課題です。「割礼を受けなければ、律法を守らなければ救われないのですよ」と誘われている。イエス・キリストのみという救いにしっかり立つのではなくて、イエス・キリスプラス割礼とか律法の順守が救いに必要だという誘いです。現在の姿はそういう誘いのなかで揺れています。

パウロはそういう過去、そして現在のガラテヤ教会の姿をかえりみて、将来の姿を期待を込めて、そして教え導くためにも語ります。10節《あなたがたが決して別な考えを持つことはないと、わたしは主をよりどころとしてあなたがたを信頼しています》。あなたがたがしっかりとイエス・キリストの十字架のみに堅く立って、救いの道を走る続けていくことを、主にあって期待しています。

こうしたガラテヤ教会の過去、現在、将来を語りながら、聖書が語ることは、イエス・キリストを信じて救われるということと、クリスチャンの生き方ということです。信仰と律法の関係と言い直してもよいものです。イエス・キリストを信じる信仰によってのみ救われるとすれば、神さまの与えたもうた律法はどうなるのかということです。今日の聖書箇所では、その関係は自由と愛であると言います。

自由、イエス・キリストを信じて罪赦されて救われるということは、自由を得ることであります。1節に《この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです》、そして13節に《兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召しだされたのです》とあります。自由を得る。つまり裏返せば、人はみな救われるまでは不自由の中にあった、罪の奴隷であった、奴隷の軛の中にあったといういうことです。パウロは律法は聖なるもので、善きものであるけれども、律法によっては罪の自覚しか生じない。律法によって罪が生き返って、望んでいない悪を行っている。そういう罪の奴隷であった。律法を知れば知るほど、守れば守るほど、人間の罪ということが暴かれていく。わたしたちが十戒を自分の前に置いて、「わたしのほかに何ものをも神としてはならない」と律法の前に立つとき、神々を拝む自分の姿を思い起こさざるを得ないのです。それだけではありません。ガラテヤ教会を惑わしているものは、割礼を受けなければ、モーセの律法を守らなければ救われないということであります。パウロだって、テモテを一緒に伝道に連れて行くときに、ユダヤ人の手前、割礼を授けたではないか。あなたがたも割礼を受けなければならないと言っていたようです。テモテの場合は母親がユダヤ人でしたが、割礼を受けていませんでした。パウロはユダヤの血を引くテモテが一緒に自由にユダヤ教の会堂に出入りできるようにと考えてのことであったようです。パウロは決して割礼を受けなければ救われないなどとは伝道していませんでした。かえって十字架というつまずきを宣べ伝えています。ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、十字架の言葉は滅んでいく者にとっては愚かなものですが、救われるものには神の力であります。パウロは十字架につけられたイエス・キリスト以外、何も知るまいと決意して伝道しました。割礼がなければ、律法がなければ救われないと伝道しているのではありません。十字架のつまずきを宣べ伝えています。なぜならただイエス・キリストの十字架によってのみ、罪赦されて、まことの自由を得るからです。

13節後半に《ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい》とあります。自由だといっても、自分の思うままの自己中心の自由ではありません。罪の中にあるということ、つまりそれは神を知らずに、神に背を向けて生きていることでありますが、それが自由ではないのです。本当の自由は、イエス・キリストによって罪赦されて、神を知り、神と共に歩むこと、これが本当の自由です。聖書には8節に《このような誘いは、あなたがたを召し出しておられる方からのものではありません》、さらに13節に《兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです》とあります。「召し出す」とありますが、これは同じ言葉ではありませんが、意味としては同じです。神さまによって、罪の不自由の中から呼ばれている、集められている、召し出されている。どこに召し出されているのでしょうか。それが教会です。わたししたちがまことの自由を得るのは、教会につらなることにあります。イエス・キリストに結ばれるところに、そのキリストの体と呼ばれる教会に結ばれるところに、まことの自由があります。罪の赦しこそが、まことの自由です。教会に生きることは、教会で礼拝をささげることは、まことの自由に生きることです。《ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい》。これがクリスチャンの生き方、律法の働きです。

わたしたちが救われるのは、ただイエス・キリストを信じるのみです。律法は救われたクリスチャンに生きる道を教えます。救いはただイエス・キリストのみです。それにプラスされることはありません。救われて、自由にされて、教会に生きる者とされたクリスチャンは、信仰と神の御心である律法に生きるのです。パウロは律法によっては罪の自覚しか生じないと言っているではありませんか。それなのにどうして律法に生きるのでしょうか。罪の自覚が生じるからこそ、律法を守って救われるのではありません。その罪の自覚は、ただイエス・キリストの十字架を信じるだけで罪の赦しをいただいたのです。罪赦されたものとして、自由とされた者として、その信仰の歩みは神の御心を生きることが求められます。その神の御心が律法なのです。その急所は何かといえば、愛によって互いに仕えなさいということです。律法を集約するものとして、イエスさまも最も重要な律法として神を愛するという申命記6:5の御言葉とともに、レビ記19:18の御言葉を挙げてられました。《隣人を自分のように愛しなさい》。神の御心である律法と言うのは、616のあるということですが、何といっても《隣人を自分のように愛しなさい》という一句によって全うされる。ガラテヤ教会の人々よ、自由とされた兄弟たちよ、この御言葉に従って、この神の御旨である律法に従って、愛し合いなさい、仕えあいなさい。自由とされたあなたがたには、罪赦されたあなたがたには、神に愛されているあなたがたには、この律法を全うできる。そして神に自由とされたわたしには、神の御心である律法に生きることが求められます。それはこの一句によって全うされます。《隣人を自分のように愛しなさい》。

(応答の祈りをしてください)

14献金(後日、礼拝に来られた時に献金してください。教会の口座に送金することもできます)

讃美 新聖歌366(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

15.感謝の祈り 

16.報告

  ①先週集会 礼拝68名(HP・メール・faxの方を含む)

聖書研究祈祷会13名

  ②今週の予定 21日:東京聖書学校聖会(10時・13時30分)

              YouTube配信「東京聖書学校吉川HARADA」で検索してください

22日:キングスガーデン礼拝

聖書研究祈祷会 Ⅰ司会)永津兄 Ⅱ司会)小渕兄

25日:ライフライン(8時・テレビ埼玉)

  ③教会便り ・ユースにお勧め賛美動画「新しい歌を主」

        ・メールやファックスでの礼拝人数は把握できますが、HPでの人数が把握できませんので、お手数ですがメールで「HPで礼拝しました」と送信してください。

         HP等への掲載は次週までとなります。

メール pastor@akabanechurch.jp fax 03-3901-8990

        ・先週献金くださった方の献金は、本日の礼拝でささげます。

・振替口座に送金される方は、献金種別を記載してください。

          振替口座 00170-7-80756 名義 日本基督教団赤羽教会

        ・ゆうちょ銀行口座に送金される方は、メールなどで献金種別をお知らせください。

          店名〇〇八〔読み方 ゼロゼロハチ〕 店番008

          普通預金・口座番号1978382

       ・⑴会堂掃除(礼拝後・土曜日):礼拝後は〈掃除機〉と〈除菌拭き取り〉、土曜日は可能の方はお願いします。

・「夏期感謝献金」(予算は65万円)、上半期の恵みを覚えておささげしましょう。

・本日礼拝後、15分ほど報告と祈りをあわせる各部会を開きます。壮年(礼拝堂後方)、ハンナ(礼拝堂前方)、ABA(ロビー)

・赤岩神学生:夏期伝道(7/29~8/2)

・***** 夏の集会予告 *****

8月10日(月) 「ホ群ユースデーキャンプ」(赤羽)

(まもなくチラシができます。費用は教会負担です)

 ④次週予告 ・7時:早朝礼拝

 ・9時30分:礼拝Ⅰ(SS合同)  子どもメッセージ・説教:大友師

 ・10時45分:礼拝Ⅱ 説教)大友師

        ・礼拝以外の集会は休会となります。

17.頌栄 新聖歌63(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

18.祝祷

  主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同の上 

豊かにあるように アーメン

19.黙祷

日本基督教団 赤羽教会
〒115-0042 東京都北区志茂2-56-4 TEL03-3901-8939 FAX03-3901-8990
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