日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]2021年1月10日聖日礼拝順序 降誕節第3聖日

大友英樹牧師
2021年1月10日
民数記 20章1-13節

2021年1月10聖日礼拝順序 降誕節第聖日

1. 黙祷

2.招詞 詩編11981

3.頌栄 60(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

4.新聖歌 38(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

5.詩編交読 詩編21:1~12

6.祈り

7.新聖歌 388(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

8.主の祈り

9.使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。

我は聖霊を信ず。

聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン

10.ワーシップソング 土の器(YouTubeで検索してください)

11.教会聖句 Ⅱコリント5章18

12.聖書 民数記20:1~13

13.説教 『モーセの失敗』(声に出して朗読してください)

 前回民数記を学びましたのは14章のところでした。出エジプトの救いを与えられて、シナイ山で神さまと契約を結び、神の民とされて律法を与えられ、神さまを礼拝する幕屋をつくり、礼拝する民とされました。1年のシナイ山での生活を終えて、約束の地、カナンの地に向かって出発します。そしてカデシュ・バルネアという所までやってきて、そこからカナンの地に12人の偵察隊を送ります。偵察してきた彼らは、カナンの地は乳と蜜の流れる素晴らしい土地です。しかしそこには巨人が住んでいて、そこに入るのは不可能だと報告します。偵察隊のヨシュアとカレブは、断然上って行くべきだと鼓舞しますが、イスラエルの民は他の10人の偵察隊の声を聞いて、意気消沈し、カナンの地を目の前にして、エジプトに帰ろうと言って背を向けていく。そうしたイスラエルの民に神さまは怒りをあらわされて、偵察隊が40日間カナンの地を巡ったように、イスラエルの民は1日を1年として、40年の荒れ野の生活に入ること、そして出エジプトしたとき20歳以上であった大人は荒れ野で死んでしまう。そのようにして40年の荒れ野の旅がはじまります。

 15章からはそうした40年の荒れ野での生活で起こったいくつかの出来事が語られています。出エジプト以来、イスラエルの民の姿は、ある意味では一貫していました。それはしばしば不平や不満、呟きが出てくるということです。神の民はけっして聖人ではない。人間そのものです。聖書を読むときに、自分の姿を見る思いがします。この40年の荒れ野の旅の間でも、16章ではコラ、ダタン、アビラムと250名の仲間が、モーセとアロンが指導者でることに不満を抱いて反逆します。彼らは大地が裂けて、陰府に落ちたとあります。250名は火が主のもとから出て焼き尽くされたとあります。17章では今度はそれを見たイスラエルの民が、主の民を殺すとはと言って、モーセとアロンに逆らい不平を語ります。それによって疫病が蔓延して14700人が亡くります。そして12の部族から1本ずつ杖を取って、それを幕屋の中の一番奥、至聖所と呼ばれる神さまの臨在される最も聖なる所に置きます。神さまが誰を選んでいるのかを明らかにして、不平を取り除くためです。次の日にアロンの杖から芽が出て、花が咲き、アーモンドの実が結んでいました。アロンの杖はそのまま至聖所にそのまま置かれていました。40年間の荒れ野の旅を終えとしているのが20章になるわけです。

 1節に《イスラエル人々、その共同体全体は、第一の月にツィンの荒れ野に入った。そして、民はカデシュに滞在した》。これは荒野の旅の40年目の第一の月です。聖書の後ろにある聖書地図2「出エジプトの道」を見ますと、カデシュ・バルネアとあるところです。12人の偵察隊が送られて、結局カナンの地に入れなくなかった場所に戻ってきたということです。荒れ野の旅の中で世代交代が行われてきました。出エジプトのとき、まだ子どもであった者や荒れ野の旅のなかで生まれた者たちです。世代交代が行われたわけでありありますが、その姿は変わらないものです。2節に《さて、そこには共同体に飲ませる水がなかったので、彼らは徒党を組んで、モーセとアロンに逆らった》。水がないと不平を言い、死んでしまったらよかった、こんな荒れ野の旅をしてこなければよかったと嘆き声をあげます。出エジプト記17章に出エジプトしてからしばらくしてシナイ山の手前で、飲み水がないと不平を述べたことがありました。40年間の荒れ野の旅を終えようとしているときにも、同じように水がないと不平を述べる。世代が変わっても、人間の姿は変わらないのです。

 さて、このような荒れ野の旅の40年目にカデシュ・バルネアに帰ってきたときに、不平を語るイスラエルの民を前にして、モーセは小さな失敗をしてしまいます。しかしその小さな失敗は、大きな結果をもたらします。モーセはたった一つの小さな失敗をしました。民数記12章には《モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった》とあります。そうことからモーセはイスラエルの民の不平、不満が聞かれるとき、それに反論するよりも前に、主なる神さまの前にひれ伏します。民数記だけでも11章、12章、14章、16章、17章、そして20章とイスラエルの民の不平、不満があるときに神さまの前に出ます。祈りをささげます。6節に《モーセとアロンが会衆から離れて臨在の幕屋の入り口に行き、そこにひれ伏すと、主の栄光が彼らに向かって現れた》。モーセは祈りの人です。とりなしの祈りの人です。どのようにしたらいいですかと神さまに祈る謙遜な人です。そんなモーセが小さな失敗をしてしまいます。40年が過ぎても、相変わらずの民の姿に、「またか」というモーセの呟きがあったかもしれません。ひれ伏すというのは、「顔の上に倒れる」という言葉です。顔が地面についているほどに、こうべをたれている。そこには神さまへのとりなしを祈りがあると同時に、「ああ、またか」とどうすることもできないイスラエルの民への嘆きが見えるように思います。

 神さまはモーセに3つのことを命じました。それが8節です。《「あなたは杖を取り、兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたはその岩から彼らのために水を出し、共同体と家畜に水を飲ませるがよい。」》。第1に杖を取りなさい。杖は先ほどお話した17章にある芽が出てアーモンドが咲いて実ったアロンの杖です。幕屋の至聖所に置かれていたアロンの杖です。それは神さまの選びのしるしです。その杖を取りなさい。第2に民を集めなさい。第3に岩に向かって水を出せと命じなさい。この3つです。モーセはこの命令に従います。第1に杖を取り、第2に民を集めます。しかし第3に岩に向かって水を出せと言わず、民に向かって不平、不満を述べてしまいます。そして杖で岩を二度打って水を出しました。きっと民は大いに喜んで水を飲んだことでしょう。

しかしここにはそんな民の喜びの声がかき消されるように、モーセの小さな失敗の結果が厳粛に語られます。12節《主はモーセとアロンに向かって言われた。「あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない。」》。モーセの失敗は神さまを信じることができなかった。そして神さまが聖なるお方であることを示せなかった。それは岩から水を出したのは神さまではなくて、モーセが出したということではないか。神を神とするということに失敗した。

40年前、出エジプト記17章で同じように水がないと不満を述べる旅を前にして、神さまに祈ったモーセに、杖を取り、民を集め、岩を杖で打ちなさいと命じられ、水を出させられました。40年後、カデシュ・バルネアであの時と同じことが起こった。モーセには成功体験があったわけです。モーセ自身のイスラエルの民への不平、不満というものが、あのときに成功体験を思い起こさせたのかもしれません。杖を取り、民を集め、岩に向かって杖を二度ついてしまう。結果は水が出ました。しかしそれは神さまの方法ではありません。モーセの方法です。岩を打てば水が出るというモーセのかつての成功体験です。水は出ましたが、しかしそれによって水を出したのは神ではなくて私であるという不信仰、神を神としない、聖なるお方を聖としないという不信仰があきらかになったのです。岩を杖で打ってしまうという小さな失敗ですが、モーセはその代償として約束の地、カナンの地に入ることができなくなります。ネボ山に登り、ヨルダン川の向こうに広がるカナンの地を見渡して、モーセは120年の生涯を終えることになります。

モーセは小さな失敗をしてしまいました。それは約束の地に入ることができないという厳粛な結果をもたらします。モーセの失敗はどこにあったのでしょうか。信仰というものは、いつも現在的であるということです。私たちも信仰の歩みにおいて、様々なことを経験することは大切です。あのときわたしは救われたのだ。イエスさまに出会い、信じたのだ。あのとき神さまはわたしを助けてくださった。そうした経験は大切です。私たちに信仰の確信を与えてくれます。しかしそれと同時に、モーセの失敗の警告は、自分のあの時の経験が邪魔をしたということです。あのとき岩を打って水が出たではないか。しかしこのときは、「岩に向かって、水を出せ命じなさい」というのが神さまの命令でした。モーセは神さまの現在の命令ではなくて、過去の命令、自分の成功体験に従ってしまった。私たちが聖書を通して神さまの御言葉を聞きます。そのときに必要な御言葉をもって語ってくださいます。例えば長い信仰の歩みを重ねている方が、モーセのように40年前に与えられた神さまの御言葉を握っていくことは大切です。しかし40年前に語られた同じ神さまの御言葉は現在のわたしに語りかけます。信仰は現在的です。今このときわたしにこのように語られる。このように命じられる。モーセの小さな失敗を信仰の警告としたい。わたしたちの信仰は、いつも現在的であります。

(応答の祈りをしてください)

14.成人祝福の祈り

   成人を迎えた方々の祝福の祈りをささげましょう。

15.献金(後日、礼拝に来られた時に献金してください。教会の口座に送金することもできます)

讃美 新聖歌 465(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

16.感謝の祈り 

17.報告

  ①先週集会 礼拝56名(HP・メール・faxの方を含む)

聖書研究祈祷会 15名

ホ群新年聖会 10名

  ②今週の予定  13日:東京聖書学校理事会、ホ群委員会

13日:聖書研究祈祷会(休会)

14日:東京聖書学校講義・教授会

16日:ライフライン(8時・テレビ埼玉)

  ③教会便り ・ユースにお勧め賛美動画「土の器」

        ・メールやファックスでの礼拝人数は把握できますが、HPでの人数が把握できませんので、お手数ですがメールで「HPで礼拝しました」と送信してください。

メール pastor@akabanechurch.jp fax 03-3901-8990

       ・会堂掃除(礼拝後・土曜日):礼拝後は〈掃除機〉と〈除菌拭き取り〉、土曜日は可能の方はお願いします。⇒しばらく行いません

       ・緊急事態宣言が発令されましたが、本日の教会役員会で今後の対応を決定します。決定次第、メールや文書でお知らせいたします。

・1/3(日)、「新年合同礼拝」、午後からは「ホ群新年聖会」でした。礼拝堂で10名が参加しました。各自でパソコンやスマホで参加した方があればお知らせください。また「東京聖書学校吉川HARADA」にアーカイブされているので、視聴してみてください。

・本日、礼拝において「成人祝福の祈り」のときをもちます。おめでとうございます。

・元旦礼拝での写真をロビーに掲示しましたので、必要な方は申し込みください。2/7(日)迄。

 ④次週予告 ・7時:早朝礼拝

 ・9時 30分:第1礼拝 説教)大友師 

 ・10時45分:第2礼拝 説教)大友師

        ・礼拝以外の集会は休会となります

18.頌栄 新聖歌63(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

19.祝祷

  主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同の上 

豊かにあるように アーメン

20.黙祷

日本基督教団 赤羽教会
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