日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]2021年1月31日聖日礼拝順序 降誕節第6聖日

大友英樹牧師
2021年1月31日
民数記 24章10-25節

2021年1月31日 聖日礼拝順序 降誕節第聖日

1. 黙祷

2.招詞 詩編2713~14

3.頌栄 60(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

4.新聖歌 21(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

5.詩編交読 詩編84:2~13

6.祈り

7.新聖歌 199(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

8.主の祈り

9.使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。

我は聖霊を信ず。

聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン

10.ワーシップソング 土の器(YouTubeで検索してください)

11.教会聖句 Ⅱコリント5章18「神は和解の務めを私たちに授けてくださいました」

12.聖書 民数記24:10~25

13.説教 『わたしには見える』(声に出して朗読してください)

バラムというユーフラテス川流域の占い師が、モアブの王からイスラエルの民を呪ってほしいとの依頼を受けてやってきました。22章からはじまるバラムの物語は、6つの場面からなっています。第1場面から第3場面ではバラムが依頼を受けてやってくるところです。その中でも第3の場面が重要でした。バラムの心の目が開かれて、まことに神さまに出会う、神さまを見るという経験をします。自分の進む道に抜き身の剣を手にしている主の御使いが立っていることを知らず、バラムは滅びに落ちようとしていました。しかしそのとき神さまがバラムの目を開いてくださって、主の御使いを通して神さまに出会い、悔い改め、そして本当の意味で神さまの告げることのみを語る者とされます。

第4場面から第6場面は、モアブの王のところにやってきたバラムが、三度にわたってイスラエルの民を祝福します。イスラエルの民は、モアブの平野と言われるところに宿営しています。モアブの王はイスラエルの民がよく見えるように、バラムを丘の上に連れていきます。そこから彼らを呪ってほしいとわけです。聖書にはそのとき《主はバラムの口に言葉を授けた》とあります。神さまの告げることのみを語ると決意していたバラムは、呪いではなくて、祝福を語ります。23:7~10をお読みます。これが第4場面です。

そこでモアブの王は、ピスガの頂の見晴らしのよい山に連れていきます。ここから呪ってくださいというわけです。このときも《主はバラムに会い、彼の口に言葉を授けた》とあります。そこで語られたのが二度目の祝福でした。23:18~24をお読みします。第5場面でもモアブは祝福を語ります。

そして24章が第6の場面になります。第1場面から第3場面でも最後の第3場面が重要であったように、第4場面から第6場面でもこの最後の第6場面が重要であります。第6場面でもモアブの王はバラムをペオルという山に連れていきます。しかし3度目もバラムはイスラエルの民を祝福します。24:3~9をお読みします。モアブの王は激しく怒ります。

この第6場面では、バラムはもう一つの重要な託宣を語ります。神さまから与えられたメッセージを語ります。それが今日の聖書箇所になります。15~16節をお読みします。《そして彼はこの託宣を述べた。ペオルの子バラムの言葉。目の澄んだ者の言葉。神の仰せを聞き、いと高き神の知識を持ち、全能者のお与えになる幻を見る者、倒れ伏し、目を開かれている者の言葉。わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり、モアブのこめかみを打ち砕き、シェトのすべての子らの頭の頂を砕く》。「わたしには彼が見える」、それはいつの日か、モアブの民を打ち砕くイスラエルの王が見える。バラムはこのように将来を語ります。星とか笏というのは、バラムがいたユーフラテス川流域では王様の象徴でありました。今は出エジプトして、40年の荒れ野の旅をしてきて、モアブの平野にいるイスラエルの民が、そこからヨルダン川を渡って約束の地であるカナンの地に入っていく。やがてそのイスラエルの民の中から偉大な王が立てられる。《わたしには彼が見える》。具体的にはこのイスラエルの王は、このときからすると300年ぐらいあとのダビデ王であります。サムエル記下8章にはダビデが周囲の民に勝利していったことが語られています。バラムがイスラエルの王がモアブを打ち砕くと語ったように、そこには《モアブ人はダビデに隷属し、貢を納めるものとなった》とあります。バラムはこのようにダビデ王の出現を語ったと言うことができます。《わたしには彼が見える》とはダビデのことであったということです。

さて、このバラムの第6の場面ではこの託宣も重要なのですが、さらにはこの託宣をどのように受けたのかということが重要であります。聖書には何とあるでしょうか。16節《神の仰せを聞き、いと高き神の知識を持ち、全能者のお与えになる幻を見る者、倒れ伏し、目を開かれている者の言葉》。ここには神さまを言い表す言葉が満ちています。神さまは、ただ神さまと呼ばれるだけでも、喜ばしく、畏怖すべき、輝きに満ちているお方でありますが、ここには「いと高き神」とわたしたちをはるかに超えておられるお方、決して届くことができないお方、ありとあらゆることがおできになる、オールマイティなお方、そういう神さまの仰せを聞き、知識を持ち、幻を見る者、神さまの前にひれ伏している者、そして神さまによって目を開いている者、そういう者だけ《わたしには彼が見える》と語ることができる。大事なことはいと高き全能なる神さまの前にひれ伏して、神さまによって目を開いていただくことです。そのときに《わたしには彼が見える》と語ることができる。それはバラムだけではありません。今日、この聖書の御言葉を開いているわたしも、あなたも《わたしには彼が見える》と語ることができる。それは語ることができるという可能性ではなくて、語る恵みが与えられています。聖書の信仰に生きる、つまりキリスト教信仰に生きるということは、神さまによって目が開かれて、《わたしには彼が見える》と語る者とされるということです。

この《目を開かれている》というのは、先週学びました22章31節にも《主はこのとき、バラムの目を開かれた》とありましたし、24章には4節のところにも《目を開かれている者の言葉》とありました。この三箇所の「開かれた」という言葉は同じ言葉です。新しく翻訳された聖書協会共同訳ではこの24章では《目の覆いを取り除かれた》とあります。目が開かれるとは、覆いが取り除かれることです。覆われていて見えないものが、それが取り除かれて見えるようになる。わたしたち人間は、自分の能力で神さまの仰せになることを聞くことはできません。神さまを知ることができません。神さまからのビジョンを受けることはできません。もしそれができるとすれば、わたしの方が神さまになってしまっているということです。ないしは自分で神さまを造ってしまっているということです。神さまはこういうお方なのだと自分で造ってしまう。聖書はそういうのは偶像礼拝であると警告します。本当に神さまの仰せを聞くためには、神さまを知るためには、神さまに出会うためには、神さまの方からわたしが神であるとわたしたちの心を覆っている罪の覆いを破ってくださって、覆いを取り除いてくださって、わたしが神であるとご自身を明らかにしてくださるときです。それが《目を開かれている者》です。心の目の覆いが取り除かれた者です。わたしたちを覆っている罪という覆いを破ってくださり、心の覆いを取り除いてくださり、わたしたちを目の開かれている者としてくださり、《わたしには彼が見える》と語ることができる者としてくださる。新約聖書の光から見るときに、それがイエス・キリストの十字架の恵みであります。ひとつの星がヤコブから進み出て、ひとつの笏がイスラエルから立ち上がりとありますが、イエスさまがお生まれになったとき、東方からの博士たちは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられるのか。その星を見たので拝みに来ました」と語っているではありませんか。イエス・キリストの十字架によって、わたしたちの罪の覆いを取り除かれるとき、《わたしには彼が見える》とダビデ王を超えて、イエス・キリストを見るのです。イエス・キリストの十字架が見える。

最後に、このバラムがその目を開かれて、《わたしには彼が見える》と見ることができ、語ることができた秘訣を大切にしたいと思います。24章の第6場面はこれまでの2回の祝福のときと違います。24:1節に《バラムは、イスラエルを祝福することが主の良いとされることであると悟り、いつものようにまじないを行いに行くことをせず、顔を荒れ野に向けた》とありますから、占い師であるバラムは1回目と2回目のときにはまじないをするということがあったようです。しかし目が開かれたこの第6場面の3回目のときには違いました。2節《バラムは目を凝らして、イスラエルが部族ごとに宿営しているのを見渡した。神の霊がそのとき、彼に臨んだ》。神の霊が、聖霊がバラムに臨んだ。これはシナイ山でモーセに神さまが現れて、《「わたしはある」というものだ》と言われて言葉と同じです。神さまの臨在です。神の霊がバラムを覆っている。そのときに、神の言葉を聞き、神を知り、幻、つまり神さまの世界を見るために、心の目が開かれる、覆いが取り除かれる。そして《わたしには彼が見える》を語りはじめる。

神の霊、聖霊に覆われるとき、この聖書の御言葉を通して、神の言葉を聞き、神を知り、神の世界を見せていただいて、《わたしには彼が見える》とイエス・キリストがわたしの罪の身代わりに十字架に死なれ、わたしの罪を赦してくださった。3日目に復活してくださり、わたしに永遠の命を与えてくださった。そのイエス・キリストが《わたしには彼が見える》と語りはじめる。使徒言行録7章には、殉教の死を遂げようとしているステファノが聖霊に満たされて何と語ったでしょうか。《天を見つめつつ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」》。神の霊が臨むとき、聖霊に覆われるとき、聖霊に満たされるときに、心の目が開かれて、聖書が証しするイエスさまを見る恵みが開かれます。クリスチャンの生涯は、聖霊に覆われて、聖霊に満たされて、《わたしには彼が見える》と語りながら、イエスさまを仰ぎ見ていく生涯です。(応答の祈りをしてください)

15.献金(後日、礼拝に来られた時に献金してください。教会の口座に送金することもできます)

讃美 新聖歌 358(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

16.感謝の祈り 

17.報告

  ①先週集会 礼拝43名(HP・メール・faxの方を含む)

聖書研究祈祷会 2名(牧師のみ)

  ②今週の予定   3日:聖書研究祈祷会(牧師のみ)

4日:東京聖書学校講義

5日:北支区連合祈祷会

6日:ライフライン(8時・テレビ埼玉)

  ③教会便り ・ユースにお勧め賛美動画「わが心の目を開いてください」

        ・メールやファックスでの礼拝人数は把握できますが、HPでの人数が把握できませんので、お手数ですがメールで「HPで礼拝しました」と送信してください。

メール pastor@akabanechurch.jp fax 03-3901-8990

        ・先週献金くださった方の献金は、本日の礼拝でささげます

       ・会堂掃除(礼拝後・土曜日):礼拝後と土曜日の掃除はしばらく行いません

・水曜日の聖書研究祈祷会はしばらく休会となりますので、各家庭で時を覚えてお祈りください。

・本日14時30分から「ホ群臨時年会」がオンラインで開催されます。今年度はじめに年会が開催でききなかったので、まず臨時年会で委員長・副委員長・書記を選挙し、4月にホ群委員を選挙して体制をととのえることになりました。

・受験シーズンとなります。大学・高校・中学受験にチャレンジしている若いメンバーのために祈りましょう

 ④次週予告 ・7時:早朝礼拝 説教)大友師 【聖餐式】

 ・9時 30分:(合同礼拝に合流)  

 ・10時00分:合同礼拝 説教)大友師 【聖餐式】

        ・礼拝以外の集会は休会となります 

18.頌栄 新聖歌63(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

19.祝祷

  主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同の上 

豊かにあるように アーメン

20.黙祷

日本基督教団 赤羽教会
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