日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]2021年2月14日聖日礼拝順序 降誕節第8聖日

大友英樹牧師
2021年2月14日
民数記 25章1-18節

202114聖日礼拝順序 降誕節第聖日

1. 黙祷

2.招詞 詩編243~6

3.頌栄 60(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)     

4.新聖歌 3(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

5.詩編交読 詩編85:2~8

6.祈り

7.新聖歌 500(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

8.主の祈り

9.使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。

我は聖霊を信ず。

聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン

10.ワーシップソング わが心の目を開いてください(YouTubeで検索してください)

11.教会聖句 Ⅱコリント5章18

12.聖書 民数記27:12~23

13.説教 『モーセの後継者』(声に出して朗読してください)

 出エジプトしてから40年、荒れ野の旅を終えて、まもなくヨルダン川を渡って、約束の地、カンナの地に入ろうとしています。その前にもう一度人口調査が行われます。出エジプトをしたとき成人であった者は、ヨシュアとカレブを除いて、誰も約束の地に入ることができません。出エジプトのとき成人していなかった者、荒れ野の旅のなかで生まれた者が約束の地に入っていくことになります。モーセも例外ではありませんでした。民数記20章で水を求める民に、モーセは岩を打って水を出してしまいました。このとき神さまが命じたのは岩に命じて水を出せというものでした。モーセは出エジプトしてすぐの時にも、同じような時に岩を杖で打って水を出したことがありましたので、その自分の過去の経験に頼ってしまったわけです。そのことでモーセは約束の地に入ることができなくなってしまいます。モーセのそうした失敗は、わたしたちに信仰というのは、現在的なものであることを教えてくれます。モーセはイスラエルの民の人数を数えて、彼らが約束の地に入る備えをしました。そのために二つのことが行われます。

 第1はモーセはネボ山に登ることであります。12節からお読みします。《主はまたモーセに言われた。「このアバリム山に登り、わたしがイスラエルの人々に与えた土地を見渡しなさい」。それを見た後、あなたもまた兄弟アロンと同じように、先祖の列に加えられるであろう》。アバリム山というのは、800mぐらいの山で、ネボ山とか、ピスガとも呼ばれています。バラムがイスラエルの民を祝福したときに登った山と同じです。そこからは眼下にヨルダン川の東側に広がるモアブの平野があります。そこにイスラエルの民が宿営しています。目を先に上げてヨルダン川の向こう側を見渡しますと、そこには約束の地、カナンの地が広がっています。ヨルダン川が流れ込む死海は世界で最も低い海よりも400mも下にあるところです。大地溝帯と呼ばれるアフリカ大陸を南北に縦断する巨大な谷がありますが、それがシナイ半島の東側のアカバ湾を死海までつながっています。モーセがいるネボ山も800mぐらいですが、ヨルダン川の向こう側のカナンの地も800mぐらいの高地が広がっています。マイナス400mから海抜800mのカナンの地にずっと上っていくことになります。詩編の中に都に上る歌がありますが、まさにヨルダン川のところからカナンの地に登っていくのであります。これからイスラエルの民が入っていくところを見なさい。昔「わたしが示す地に行きなさい」とアブラハムを召されて、「この地をあなたの子孫に与える」と約束されたカナンの地を見なさい。実際にモーセがネボ山に登るのは、次の申命記にあるように、モーセがこれから約束の地に入って行こうとしているイスラエルの民に、もう一度神さまが与えてくださった律法を教えてから、申命記32章からのところに語られています。

 わたしたちも霊的な信仰的な意味ではありますが、モーセのようにネボ山に登るときがやってきます。ネボ山に登らなければならないときがやってきます。この地上の歩みは永遠ではありません。これから先のときを、次の世代にゆだねなければなりません。次の世代が入ろうとしている霊的な意味での約束の地があるとすれば、わたしたちはネボ山に登って、あそこに向かって行くのだなとはるかに眺めるのです。特にクリスチャンであるわたしたちは、教会のことを霊的なネボ山から眺めなければなりません。赤羽教会がこれから進んで行くであろう霊的な約束の地を眺めるのです。そこにイエスさまの救いをいただいて愛する家族が入ることができるように、そこに新しく神の民に加えられていく人々が入っていくことができるように、約束の地を眺めるのです。それはただ眺めているのだけではありません。神さまに祈って眺めているのです。神さまにゆだねて眺めているのです。神さまに期待して眺めているのです。お互いに、霊的なネボ山に登って、赤羽教会がこれから入ろうとしている霊的な約束の地を眺めようではありませんか。神さまに祈りながら、ゆだねながら、期待しながら約束の地を眺めていこうではありません。

 モーセが行った二つめのことは、後継者を立てることでした。モーセは神さまに祈ります。15節からお読します。《モーセは主に言った。「主よ、すべての肉なるものに霊を与えられる神よ、どうかこの共同体を指揮する人を任命し、彼らを率いて出陣し、彼らを率いて凱旋し、進ませ、また連れ戻す者とし、主の共同体を飼う者のいない羊の群れのようにしないでください。」》。モーセはイスラエルの民を出エジプトの救いへと導いて、神さまとの契約を結んで神の民として、約束の地、カナンの地へ導くために神さまによって召し出されました。モーセの働きが終わろうとするとき、これから約束の地に入っていくための指導者を立ててほしい、わたしの後継者を立ててほしいと祈ります。神の民の指導者、導き手、具体的にはモーセの後継者になりますが、注目をすべきことはモーセが自分で後継者を指名していないことです。もちろんモーセのうちには思い描いていた後継者があったかもしれません。しかし神の民の指導者というのは、神さまが選び、神さまが召し出し、神さまが任命されるのであります。モーセは祈りました。「どうかこの共同体を指揮する人を任命してください」。

そこで神さまが選ばれ、召し出し、任命されたのがヨシュアでありました。18節からお読みします。《主はモーセに言われた。「霊に満たされた人、ヌンの子ヨシュアを選んで、手を彼の上に置き、祭司エルアザルと共同体全体の前に立たせて、彼らの見ている前で職に任じなさい。あなたの権威を彼に分け与え、イスラエルの人々の共同体全体を彼に従わせなさい」》。ヨシュアは民数記13章で12人の偵察隊の一人としてカナンの地を調べて報告した人物です。10人がカンナの地は乳と蜜の流れる素晴らしい土地だけれども、そこには巨人がいるから入っていくことができないと人々を意気阻喪させる報告をしました。しかしヨシュアはカレブと共に「断然上っていくべきです。主に背いてはならない」と訴えますが、人々はそれを受け入れず、結果として40年の荒れ野の旅がはじまることになりました。ヨシュアとカレブ以外は出エジプトしたときの人々は約束の地に入ることができず、荒れ野で死んでしまいます。そういう意味では、ヨシュアが指導者として、モーセの後継者として立てられることは順当のように思います。しかし忘れてはならないことは、モーセが祈り、神さまに選んでいただき、召し出していただき、任命していただいたということです。

わたしたちが霊的なネボ山に登って、赤羽教会がこれから入るであろう霊的な約束の地を眺めながら、神さまに祈り、ゆだね、期待していくのでありますが、その教会にはモーセの後継者、民の指導者が立てられなければなりません。牧師、伝道者が立てられなければなりません。イエスさまの十字架と復活による罪の赦しの福音は、キリストの体と呼ばれる教会に託されました。すべての民に福音を宣べ伝え、その罪を赦し、洗礼を授け、神の民である教会に招くようにと教会を立ててくださいました。赤羽教会もこのために立てられています。罪の赦しの福音を宣べ伝え、洗礼を授け、神の民に招いていく。そのために3つの柱があります。第1の柱は聖書です。聖書はイエスさまが「わたしについて証しをしている」と語られるように、イエスさまによって与えられた神さまの救いの恵みを証しします。第2の柱は信条、信仰告白です。今日も使徒信条を告白しました。これは聖書が語る救いをコンパクトにまとめたものです。そして古代教会以来、洗礼式のときに信条でした。「あなたはこのように信じますか」と問われて、「信じます」と応える洗礼を授けられます。第3の柱が牧師です。聖書によって福音を説教し、福音を教え、洗礼を授ける者が立てられます。教会にはこの3つの柱が不可欠です。聖書や信条は確立されました。他に加える必要はありませんし、変更する必要はありません。地上に教会が続く限り変わりません。しかし第3番目の牧師というのは、永遠ではありません。モーセのようにいつかネボ山に登って、そこで地上の生涯を終えるときがきます。教会のこれから入ろうとする約束の地を眺めながらも、必ずしもそこに入っていくことができません。教会には聖書はあります。使徒信条もあります。しかし牧師というものは、神さまから任命していただければなりません。そのためにモーセが祈ったように、祈らなければなりません。「神さま、どうかこの共同体を指揮する人を任命してください」。

イエスさまは弟子たちに言われました。「収穫は多いが働き手が少ない、だから収穫のために働き手を送ってくださるように収穫の主に願いなさい」。弟子たちはイエスさまに従って祈ったに相違ありません。イエスさまは祈っている弟子たちのなかから、十二使徒をお選びになりました。使徒言行録13章には、アンティオキアの教会で礼拝と断食がなされていました。断食ということは祈っていたということです。そのときに教会はバルナバとパウロを選び出して、二人に手を置いて祈って、第1回の伝道旅行へと出発させました。祈っている弟子たちから十二使徒が選ばれ、祈っている教会からバルナバとパウロが選ばれました。それは今も変わりせん。「神さま、どうかこの共同体を指揮する人を任命してください」と祈っている教会から、神さまが牧師、伝道者を選び、召し出し、任命されます。神さまはモーセの祈りにこたえてくださいました。「霊に満たされた人、ヌンの子ヨシュアを選んで、手を彼の上に置き、…彼らの見ている前で職に任じなさい。あなたの権威を彼に分け与えなさい」。ここに命じられていることは、教会での牧師の任職と同じです。牧師として任職されるときには、按手礼というのが行われますが、それは聖霊に満たされて、手を置いて、権威を授ける。それは牧師に聖書と信仰告白を継承して、罪の赦しの権威を託すのです。洗礼を授ける権威を託します。教会にはどこからか牧師がやってくるのであろうお考えでしょうか。そういうものではありません。東京聖書学校は3年ぶりに卒業生があります。今、日本の教会は飼う者のいない羊の群れのごとくになっています。霊的なネボ山に登って、これから教会のために祈りましょう。《主の共同体を飼う者のいない羊の群れのようにしないでください》。

(応答の祈りをしてください)

14献金(後日、礼拝に来られた時に献金してください。教会の口座に送金することもできます)

讃美 新聖歌 395(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

15.感謝の祈り 

16.報告

  ①先週集会 礼拝50名(HP・メール・faxの方を含む)

聖書研究祈祷会 休会

  ②今週の予定 16日:ホ群常任委員会

17日:聖書研究祈祷会(牧師のみ・各自で祈りをあわせましょう)

20日:ライフライン(8時・テレビ埼玉)

  ③教会便り ・ユースにお勧め賛美動画「Open the eyes of my heart」

        ・メールやファックスでの礼拝人数は把握できますが、HPでの人数が把握できませんので、お手数ですがメールで「HPで礼拝しました」と送信してください。

メール pastor@akabanechurch.jp fax 03-3901-8990

        ・先週献金くださった方の献金は、本日の礼拝でささげます

       ・会堂掃除(礼拝後・土曜日):礼拝後は〈掃除機〉と〈除菌拭き取り〉、土曜日は可能の方はお願いします。

       ・教会役員会にて、3月14日まで10時からの合同礼拝とすること等を決定しました。HPやファックス配信も用いてください

・水曜日の聖書研究祈祷会はしばらく休会となりますので、各家庭で時を覚えてお祈りください。

・2月は東京聖書学校を覚える「学校デー」です。例年のように「学校デー献金」をお願いします。2月末でまとめて献金いたします。

・2/28(日)、「教会総会」を書面開催で行います。今週中に議案書等をお送りしますので、2/26(金)までに返信してください。ご協力ください。

 ④次週予告 ・7時:早朝礼拝

 ・9時 30分:第1礼拝 合同礼拝に合流

 ・10時00分:合同礼拝 説教)大友師

        ・礼拝以外の集会は休会となります  

17.頌栄 新聖歌63(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

18.祝祷  イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同の上

豊かにあるように アーメン

19.黙祷

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