日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]2021年4月11日聖日礼拝順序 復活節第2聖日

大友 英樹牧師
2021年4月11日
ヨハネによる福音書 1章1-5節

202111聖日礼拝順序 復活節第聖日

1. 黙祷

2.招詞 イザヤ60

3.頌栄 60(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

4.新聖歌 166(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

5.詩編交読 詩編16:5~11

6.祈り

7.新聖歌 128(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

8.主の祈り

9.使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。

我は聖霊を信ず。

聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン

10.ワーシップソング 主は今生きておられる(YouTubeで検索してください)

11.教会聖句 Ⅱコリント5章18

12.聖書 ヨハネ福音書1:1~5

13.説教 『言・命・光』(声に出して朗読してください)  

 新約聖書には4つの福音書がありますが、それぞれの目的をもってイエスさまの生涯を描いています。はじめに編纂されたと考えられていますマルコの福音書では、イエスさまが30歳のころ、「神の国は近づいた」と宣教をはじまれたところから書き始めました。10年ほどあとに編纂されたマタイとルカの福音書では、それぞれイエスさまの誕生物語から書き始めています。マタイはユダヤ人の王とお生まれになったイエスさま、ルカはこの方こそ主メシアであるイエスさまとその誕生の出来事を語っています。ヨハネの福音書はさらに10年ほどあとに編纂されることになりましたが、イエスさまのはじまりは、神の国の宣教からでもなく、誕生からでもなくて、《はじめに言があった》とあるように、はじめ、この世のはじめ、この世界の創造のはじめ、さらに言うと天地の創造の前からはじまります。この《はじめに言があった》というのは、聖書のはじめ、創世記のはじめの言葉とつながります。創世記の初めの言葉は、《初めに、神は天地を創造された》とあります。ヨハネの福音書はイエスさまの生涯は「はじめに」始まると言います。この「はじめ」は「初めに、神は天地を創造された」という初めにつながります。イエスさまの生涯は、この地上に誕生したときからはじまったのではないのです。イエスさまの生涯は、この地上の誕生される前からはじまっています。しかもそれは天地がはじまる前、天地の創造の前からはじまっています。時間の中に生きている私たちからすれば、イエスさまは永遠の昔からおいでになられるお方であります。ヨハネはそのようなイエスさまがどういうお方なのかということを、このはじめのところで語りはじめます。それはイエスさまが言として、命として、光として、わたしたちの世界においでくださったお方であるということです。

 第1にイエスさまは言であります。わたしたちの聖書では、この箇所には7回「言」が出てきます。聖書の言葉ではロゴスと言います。そのままの意味では「言葉」です。英語ですとワードと訳しています。しかしここで語られるロゴスというのは、わたしたちが話したり書いたりするような「言葉」とは違います。ですから普通の「言葉」という意味ではないということで、日本語の聖書では「言」またはひらがなで「ことば」と訳してきました。英語の聖書ではthe Wordと大文字で書かれています。このロゴス、言というのは、ある存在する者をあらわしています。それは聖書の時代より前から、ある存在する者という意味でロゴスという思想があったようです。ヨハネはそうしたロゴスの思想を取り入れて、人々がある存在する者はこういうものだ、ロゴスとはこういう者だと言っているけれども、それは思想に過ぎないものです。イエスさまこそがロゴスそのものなのだ。この後に14節にあるように、そのロゴスなるお方が、イエスさまがわたしたちの世界にお生まれくださったのだ。ロゴスというのは、たんなる思想ではない。この世界にお生まれくださったイエスさまはなのです。そのようにヨハネはイエスさまこそがロゴスであり、言であると語ります。

 この言であるイエスさまは、どういうお方でしょうか。ヨハネは《はじめに言があった》と語ります。イエスさまははじめからおられるお方です。なぜならばイエスさまは神であられるからです。《はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった》。イエスさまは神と共にあり、そして神であった。これは父なる神さまと御子イエスさまの関係となります。ヨハネ福音書では、イエスさまは「わたしと父とは一つである」とか、「別の弁護者、聖霊を送る」約束されます。そこに父と子と聖霊の三位一体なる神さまがおられるわけです。まさに《この言は、初めに神と共にあった》とあるとおり、イエスさまはその神であります。

そして神さまは永遠において、父と子と聖霊の豊かな愛の交わりを持たれておられます。その愛の交わりにあずからせようとされて、天地を創造してくださいました。イエスさまはその天地の創造の御業をなしてくださいました。イエスさまは天地を創造される神であられます。わたしたちは使徒信条に「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」とあるように、天地創造の御業が父なる神さまの御業であると告白します。それでよろしいわけですが、ではそのときにイエスさまは何もしていなかったのかと言えばそういうことではありません。コロサイ1:16には《万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました》とあります。イエスさまにおいて造られた。御子によって造られたということですから、イエスさまなしには天地創造というのはないわけです。イエスさまの天地の創造の御業をなさるお方です。言であるイエスさまは、天地を創造されたお方であります。

第2にイエスさまは命であります。4節《言の内に命があった。命は人間を照らす光であった》。イエスさまの内には命があります。新しい聖書協会共同訳聖書では「言の内に成ったものは、命であった」と訳しています。つまりイエスさまは命そのものなのですが、イエスさまによって創造された者の内には、その命があるということです。しかしその命はわたしたちには分からなくなってしまいました。それはイエスさまを知らないからです。イエスさまを知らずに、背を向けて罪のなかにあるならば、その命がわかりません。わからない以上に、その命がありません。本当は、イエスさまが創造してくださったわたしたちの内には、イエスさまの命があるのです。しかし罪がその命から引き離してしまいました。イエスさまはヨハネ福音書5章で言われます。《あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない》。イエスさまの内にある、まことの命を得ようとしてわたしのところに来ないでないかと言われます。

イエスさまの命とは、どのような命なのでしょうか。命ということでわたしたちが考えるのは、この生命体という命がまず思い浮かびます。詩編90編には人生の年月は70年、健やかであっても80年とありますが、そういう命です。バイオテクノロジーという言葉を耳にすることがありますが、バイオ、聖書の言葉ではビオスという言葉があります。わたしたちの命はビオスの命であります。しかし今日の聖書箇所を見てみますと《言葉の内に命があった》というこの命はビオスではなくて、ゾーエーという命です。イエスの内にある命は、ゾーエーという命です。ビオスという生命体の命を与えたもうイエスさまは、ゾーエーという命を与えたもうお方であります。イエスさまは、あなたたちはゾーエーの命を得るためにわたしのところに来ようとしない。わたしのところに来れば、ゾーエーという命を与えることができるのにと仰せになります。ヨハネの福音書では、このゾーエーという命、永遠の命とも言われますが、それはイエスさまが与えてくださいます。神さまの命であるゾーエーという命を与える。もちろん生命体のビオスという命も大切ですが、イエスさまはわたしたちに無くてはならない命、失ってしまっている命、神さまの命、ゾーエーの命、永遠の命を与えてくださるお方です。イエスさまのそのものがゾーエーという命そのものなのです。

最後に第3にイエスさまは光であります。4節からお読みます。《命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった》。創世記では最初に「光あれ」との言葉で光が創造されました。その光が天地万物を照らし出すように、イエスさまは人間を照らす光であります。イエスさまはヨハネ福音書8章で《わたしは世の光である》と言われました。

ヨハネ福音書では繰り返し「わたしは~である」というイエスさまの言葉が出てきます。これは出エジプト記3章でモーセがシナイ山の麓で神さまに出会ったとき、神さまは「わたしはあるというものだ」と言われたところと関係があります。それは神さまが御自身をあらわされる。そこに臨在されるということです。ですからイエスさまが《わたしの世の光である》と言われとき、神であられるイエスさまが光としてそこに臨在して、すべての人を照らされるということなのです。

 わたしたち人間は罪のゆえに、闇の中に覆われてしまいました。神さまを知らずに、神さまに背を向けて、闇の中に覆われてしまった。それが聖書が語る人間の姿です。イエスさまという光に照らされるとき、本当の自分がわかります。イエスさまはどのように光を照らしてくださるのでしょうか。それは十字架に死なれるという光です。わたしたちの罪を背負って、身代わりとなって十字架に死なれる光です。イエスさまの十字架は3日目に復活されることで完成します。十字架は復活という栄光となります。イエスさまはこの十字架、そして復活という光で照らしてくださいます。《暗闇は光を理解しなかった》とありますが、「闇は光に勝たなかった」とも訳されます。どんなに暗闇の力、罪の力、悪の力が強くとも、闇は光に勝たなかった。イエスさまの光は勝利されます。命があり、力があります。イエスさまはヨハネ福音書12章で《わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることがないように、わたしは光として世に来た》と言われ、《光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい》と命じられます。私たちもイエスさまに出会い、イエスさまを信じるときに、光の子となることができる、神の子となることができる。素晴らしい約束が与えています。イエスさまという光に照らされて、光の子となることができる。

(応答の祈りをしてください)

14献金(後日、礼拝に来られた時に献金してください。教会の口座に送金することもできます)

讃美 新聖歌 316(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

15.感謝の祈り 

16.報告

  ①先週集会 礼拝63名(HP・メール・faxの方を含む)

聖書研究祈祷会 牧師のみ

  ②今週の予定12日:hi-b.a高校生集会

        14日:聖書研究祈祷会 Ⅰ:14時 Ⅱ:19時30分

        15日:東京聖書学校講義

        17日:ライフライン(8時・テレビ埼玉)

「聖書チャンネル BRIDGE」でも視聴できます。

  ③教会便り ・ユースにお勧め賛美動画「主は今生きておられる」

        ・メールやファックスでの礼拝人数は把握できますが、HPでの人数が把握できませんので、お手数ですがメールで「HPで礼拝しました」と送信してください。

メール pastor@akabanechurch.jp fax 03-3901-8990

        ・先週献金くださった方の献金は、本日の礼拝でささげます

       ・会堂掃除(礼拝後・土曜日):毎月最終聖日の礼拝後は各部割り振りで会堂掃除を行います。土曜日はしばらくお休みします。

       ・本日からは、第1礼拝(9時30分)、第2礼拝(10時45分)となります。

・4/6(火)、「ホ群年会」がオンラインで開催されました。

 ④次週予告 ・7時:早朝礼拝

 ・9時 30分:第1礼拝 説教)大友師

 ・10時45分:第2礼拝 説教)大友師

        ・礼拝以外の集会は休会となります

17.頌栄 新聖歌63(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

18.祝祷  主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同の上、豊かにあるように アーメン

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