日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]2021年4月18日聖日礼拝順序 復活節第3聖日

大友 英樹牧師
2021年4月18日
ヨハネによる福音書 1章6-13節

202118聖日礼拝順序 復活節第聖日

1. 黙祷

2.招詞 詩編291~2

3.頌栄 60(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

4.新聖歌 18(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

5.詩編交読 詩編116:1~14

6.祈り

7.新聖歌 199(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

8.主の祈り

9.使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。

我は聖霊を信ず。

聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン

10.ワーシップソング 主は今生きておられる(YouTubeで検索してください)

11.教会聖句 Ⅱコリント5章18

12.聖書 ヨハネ福音書1:6~13

13.説教 『神の子となる資格(声に出して朗読してください)  

 バプテスマのヨハネは、イエスさまを証しするために、指さすために登場しました。他の福音書をみますと、ヨハネはイエスさまが公の生涯に入られる前から、悔い改めのバプテスマを授けていて、「わたしの後から来る方は、わたしよりも優れています」、「わたしは水でバプテスマを授けているが、その方は聖霊と火でバプテスマを授けます」と語っていました。ヨハネの福音書でも、このあとを読んでいきますと、そういう場面が出てきます。ヨハネの福音書はこの序文のところで、バプテスマのヨハネが証しをし、指し示していたまことの光がやってきたことを語ります。9節に《その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである》とありますように、イエスさまはすべての人を照らすために、すべての人のためにこの世においでになりました。イエスさまは特定の限られた人のために来られたのではありません。ヨハネ3:16の御言葉に《神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである》とあるとおりです。神さまの愛は、御子イエスさまをこの世にお与えになるほどのものであって、すべての人々を愛される。神の愛の御性質はアガペーの愛ですから、分け隔てのない、偏り見ない愛ですから、愛そのものでありますイエスさまは、すべての人を照らすためにおいでになります。   

しかしそのイエスさまの来られ方は、すべての人を照らすと言いましても、具体的に一つの民の中にお生まれになります。神さまは罪に落ちてしまったすべての民に祝福をもたらされるようとされました。それは創世記12章でのアブラハムの選びであります。神さまは仰せになります。《わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る》。アブラハムが選ばれて、約束の地に向かい、イサク、ヤコブと続いて、やがてヤコブの家族がエジプトに移住し、出エジプト記に入ると、モーセを通して出エジプトの救いが与えられ、シナイ山で十戒が与えられ、神さまと契約を結び、神に選ばれた神の民とされます。神さまの愛は、具体的にこの神の民、イスラエルの民を通して明らかになります。イスラエルの民は、神の民として、神の愛を証しする民として、選ばれ、契約を結び、十戒が与えられ、律法が与えられ、神の幕屋で、後には神の神殿で礼拝する民となります。神さまの愛は具体的に神の民、イスラエルの民を通して現れます。それゆえに、神の愛そのものであるイエスさまは、その神の民の一員としておいでになります。マタイ福音書がアブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図と語るように、イエスさまは神の民の一員という中に隠れてしまうようなお方ではなくて、まさに神の民そのもの、神の民の直系としておいでになります。ですから11節で《言は、自分の民のところへ来た》と語るわけです。神の民は、イスラエルの民は、神さまがすべての人を愛していますということを具体的に証しすることが期待されています。そしてこの神の民からメシア、救い主がおいでになるとの約束をいただいています。イエスさまはその神の民である自分の民のところにおいでになります。しかし《民は受け入れなかった》のであります。神さまの愛そのものを受け入れません。イエスさまを十字架にかけてしまう。しかし神さまはその十字架を神の民の拒絶の十字架では終わらせません。あくまでも神さまの愛の十字架と変えてくださいます。それはこの十字架が、神の民を含めて、神を拒絶する、神の愛を受け取ろうとしないすべての人間の罪を明らかにします。しかし神さまはイエスさまの十字架がそんな人間の罪を覆って、贖って、身代わりとなって罪を赦したもう愛を貫かれます。拒絶の十字架ですべてが終わったのありません。神さまは十字架を愛の十字架に、救いの十字架に変えてくださいます。そのポイントとなることが、受け入れるということです。

ヨハネはクリスチャンというのは神の子とされることだと語ります。12節《しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた》。ここに「受け入れる」とあります。一方の神の民はイエスさまを受け入れなかった。クリスチャンとなる者はイエスさまを受け入れた。私たちの聖書では「受け入れなかった」、「受け入れた」と同じ言葉となっていますが、元々は違う言葉になっています。英語の聖書では別々の言葉で訳し分けているものもあります。岩波書店から出ている聖書では、「迎え入れなかった」と「受け入れた」と訳し分けています。11節の《民は受け入れなかった》というのは、交わりを拒絶したという意味があります。イエスさまが来てくださったわけですが、それを要りませんと拒絶する。しかしイエスさまを受け入れる、自分の心にお迎えするというときに、神の子となる資格が与えられる。ヨハネ黙示録3章に《見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう》とあるように、イエスさまを受け入れるということは、玄関口にではなくて、自分の部屋の中にお迎えして食事をするように、イエスさまを自分の心のうちに受け入れるのであります。それはイエスさまを信じることであります。その時に神の子となる資格を与えられます。クリスチャンは神の子とされる。神の子となる資格が与えられる。気を付けなければならないのは、神の子といいましても、イエスさまと同じ意味で神の子となるのではありません。ヨハネはヨハネ第1の手紙3章で《御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで》で語っていますが、イエスさまが神の子であることと、わたしたちクリスチャンが神の子であることを厳密に区別しています。元々神の子と言っても、言葉が違います。イエスさまはまさしく直接的に神の子です。イエスさまは神であられるからです。わたしたちクリスチャンはイエスさまを受け入れて、信じて神の子供とされます。イエスさまのように神ではありませんから、本当の意味での神の子にはなれません。あくまでも人間として、神の子供にならせていただく。

クリスチャンの恵みは、イエスさまを信じて罪赦されて、神の子となる資格を与えれること、神の子供とされることであります。しかし忘れならないことがあります。それはクリスチャンという神の子、神の子供というのは独立していないということです。自活していないということです。一人暮らしではないということです。聖書をよく調べてみますと、日本語ですと単数と複数の見分けが難しいところがありますが、神の子というのは、神の子たちと複数であらわされています。イエスさまが神の子というときにはおひとりだけですから単数です。しかしわたしたちクリスチャンは神の子ら、複数なのです。クリスチャンの歩みというのは、一人旅行ではありません。単身、一人でイエスさまを信じていく、礼拝していく、お祈りしていくということではありません。神の家族と呼ばれる教会のメンバーとして、神の子らと共に信仰の歩みをしていくのであります。イエスさまは神の民であるイスラエルの民のところにやって来られました。それが自分の民であったからです。しかしその民はイエスさまを受け入れません。しかしイエスさまは新しい神の民を集められます。《自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた》のであります。教会が神の民として集められたのであります。イエスさまは信じる者に神の子となる資格を与えられました。ただ信じるだけです。それが神の子となる条件です。13節に《この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである》とあるように、教会は民族を超え、人種を超え、人間の思惑を超えて、神さまがクリスチャンを霊的に生み出してくださったのであります。ヨハネ3章にイエスさまが《新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない》と言われたように、新しく生まれる、神さまから霊的に生まれさせてくださる。それがイエスさまを信じて救われるということです。

わたしたちクリスチャンには神の子となる資格が与えられています。聖書ではただ一度で「与えた」と言われています。神の子となるために、もう必要なものはありません。ただイエスさまを受け入れるだけです。信じるだけです。それだけであなたは神の子となる資格を与えられたのです。それはなんという恵みでしょうか。祝福でしょうか。特権でしょうか。この資格を失ってはいけません。自分で獲得した資格であれば、例えば自動車の運転の資格であれば、年齢が重なったので返納しますと運転の資格を失うことができます。自動車の免許を失っても、家族が車に乗せてくれるとか、タクシーやバスを利用するということで済むことでありましょう。しかし神の子の資格というのはそういうわけにはいきません。他の人に乗せてもらうようなことはできません。このわたしがイエスさまを個人的に受け入れて、信じなければ神の子の資格はありません。しかも自分が教習所に通って、練習して、運転免許の資格をとったというようなことではありません。自分が何かしたから神の子の資格を得たのではありません。してくださったのはイエスさまです。わたしのために十字架に死んでくださったのはイエスさまです。わたしの罪を赦してくださったのはイエスさまです。わたしが十字架に死んだのでも、わたしが罪を赦したのでもありません。ただ恵みによって、イエスさまを受け入れただけで神の子となる資格をいただきました。この恵みを、この祝福を、この特権を放棄してはなりません。《言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた》。

(応答の祈りをしてください)

14献金(後日、礼拝に来られた時に献金してください。教会の口座に送金することもできます)

讃美 新聖歌 357YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

15.感謝の祈り 

16.報告

  ①先週集会 礼拝55名(HP・メール・faxの方を含む)

聖書研究祈祷会 12名

  ②今週の予定19日:hi-b.a高校生集会

        20日:キングスガーデン礼拝

21日:聖書研究祈祷会 Ⅰ:14時 Ⅱ:19時30分

        22日:東京聖書学校講義        

24日:ライフライン(8時・テレビ埼玉)

「聖書チャンネル BRIDGE」でも視聴できます。

  ③教会便り ・ユースにお勧め賛美動画「主は今生きておられる」

        ・メールやファックスでの礼拝人数は把握できますが、HPでの人数が把握できませんので、お手数ですがメールで「HPで礼拝しました」と送信してください。

メール pastor@akabanechurch.jp fax 03-3901-8990

        ・先週献金くださった方の献金は、本日の礼拝でささげます

       ・会堂掃除(礼拝後・土曜日):礼拝後は最終聖日礼拝後に行います。土曜日はしばらくお休みします。

       ・先週からは、第1礼拝(9時30分)、第2礼拝(10時45分)となりました

・本日、レターケースに今年度の「祈りのグループ」表を配布しました。グループのメンバーを覚えて祈りあいましょう。

「聖書協会共同訳」(創立記念礼拝6/6から使用開始)

 (創立70周年記念の名入れのため、4/25までに申し込みください。料金は聖書がきてからで結構です)

 ④次週予告 ・7時:早朝礼拝

 ・9時 30分:第1礼拝 説教)大友師

 ・10時45分:第2礼拝 説教)大友師

        ・礼拝以外の集会は休会となります

17.頌栄 新聖歌63(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

18.祝祷  主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同の上、豊かにあるように アーメン

日本基督教団 赤羽教会
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