日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]2021年5月2日聖日礼拝順序 復活節第5聖日

大友 英樹牧師
2021年5月2日
ヨハネによる福音書 1章19-28節

2021聖日礼拝順序 復活節第聖日

【ホ群創立記念礼拝】

1. 黙祷

2.招詞 詩編1211~2

3.頌栄 60(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

4.新聖歌 50(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

5.詩編交読 詩編98:1~9

6.祈り

7.新聖歌 140(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

8.主の祈り

9.信仰告白

我らは信じかつ告白す。

旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証(あかし)し、福音の真理を示し、教会の拠(よ)るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言(ことば)にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。

主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体(さんみいったい)の神にていましたまふ。御(み)子は我ら罪人(つみびと)の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己(おのれ)を全き犠牲(いけにへ)として神にささげ、我らの贖(あがな)ひとなりたまへり。

神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦(ゆる)して義としたまふ。この変わらざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔(きよ)めて義の果(み)を結ばしめ、その御業(みわざ)を成就したまふ。

教会は主キリストの体(からだ)にして、恵みにより召されたる者の集(つど)ひなり。教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣(の)べ伝え、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む。

我らはかく信じ、代々(よよ)の聖徒と共に、使徒信条を告白す。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。

我は聖霊を信ず。

聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン

10.ワーシップソング 君は愛されるため生まれた(YouTubeで検索してください)

11.教会聖句 Ⅱコリント5章18

12.聖書 ヨハネ福音書1:19~28

13.説教 『荒れ野で叫ぶ声』(声に出して朗読してください)  

 イザヤがバビロン捕囚からのイスラエルの民の解放を語るイザヤ書40章に、《呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ野に広い道を通せ》との御言葉があります。バプテスマのヨハネは自分が何者なのかを語るとき、このイザヤが告げている御言葉を自分に重ねます。ヨハネが用いているのは、ギリシア語訳の旧約聖書なので、わたしたちが読んでいるのとは多少の違いがあります。このギリシア語聖書は70人訳聖書と呼ばれるものです。当時の共通語であったギリシア語にすることで、聖書の御言葉が当時の世界に届けられることになります。それだけではなくて、使徒言行録6章には教会のメンバーにギリシア語を話すユダヤ人とヘブライ語を話すユダヤ人がいたとあるように、外国に住むユダヤ人の中にはヘブライ語を話さないで、ギリシア語で話している人々がいましたので、70人訳聖書はそういう人々にも必要なものでした。パウロも外国のタルソに生まれた人ですからギリシア語の聖書に親しんでいたと思われます。パウロの手紙でのしばしば記憶している70人訳聖書からの引用があります。その70人訳聖書では「荒れ野で叫ぶ者の声がする」と語れています。マタイ、マルコ、ルカ福音書では70人訳聖書をそのまま引用しています。しかしヨハネ福音書では、イザヤ書40章の御言葉を引用しますが、それはバプテスマのヨハネが自分とイザヤ書の御言葉を重ねて語っています。《わたしは荒れ野で叫ぶ声である》。

 バプテスマのヨハネは、いずれの福音書でも、イエスさまに先立つ者として登場します。イザヤ書40章の御言葉は紀元前539年にイスラエルの民がバビロン捕囚から解放されることによって成就するわけです。出エジプト記にはモーセを通しての出エジプトの救いがありました。イザヤはこの出エジプトの救いを描きながら、第2の出エジプトとしてバビロン捕囚からの解放を語りました。そしてそれが成就します。さらに新約聖書にある4つの福音書は、イザヤ書40章を引用しながら、イエス・キリストの救いが第3の出エジプトの救いであり、そしてそれが神さまの決定的な救いであることを語ります。バプテスマのヨハネはその神の救いの成就者、イエスさまに先立つ者です。イエスさまを指し示す者です。今日の聖書では、《わたしは荒れ野で叫ぶ声である》と言って、イエスさまを指し示します。それではどのように《わたしは荒れ野で叫ぶ声である》と言って、イエスさまを指し示すのでしょうか。

 ヨハネのところにエルサレムのユダヤ人から、祭司、レビ人、ファリサイ派というような人々が遣わされてきました。ヨハネの福音書では、ユダヤ人というのが多く登場します。そしてユダヤ人はイエスさまに敵対する者という意味合いをもっています。ここではバプテスマのヨハネのところにユダヤ人から派遣されてきて、まだイエスさまは登場しませんが、ユダヤ人はヨハネが指し示すお方に敵対する者であります。ユダヤ人はヨハネに問いを重ねていきます。《あなたはどなたですか》。おそらくユダヤ人は「あなたはメシアですか?キリストですか?救い主ですか?」と聞きたかったのでしょう。ユダヤ人はメシアを期待していたわけですから、このヨハネはメシアなのかという思いがあったわけです。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていました。その風貌と悔い改めにふさわしい実を結べと語りつつ、ヨルダン川でバプテスマを授けていました。そんなヨハネについては、旧約聖書が約束し、私たちが待ち望んできたメシアなのだろうか。彼らの思い描いていたメシアの姿とは違う感じもあったのでありましょう。そんな思いをもちながら、「あなたはどなたですか」と尋ねたのであります。

ヨハネは3つの否定の言葉を語ります。一つめは《わたしはメシアではない》。そこで二つめに《では何ですか。あなたはエリヤですか》と問われます。旧約聖書の最後のマラキ書3章に《見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす》という御言葉があるです。エリヤは列王記下2章で天に凱旋しました。火の戦車と馬によって天に引き上げられたというのです。そんなことからマラキ書が語るように、メシアがおいでになる前に、エリヤが再びやってくると期待されていました。ヨハネに「あなたはメシアの前に来るエリヤですか」と問うわけです。ヨハネは「違う」と答えます。三度目に《あなたは、あの預言者なのですか》と問われます。「あの預言者」というのは、申命記18章に約束されている預言者です。そこにはモーセの言葉として《あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない》とあります。「わたしのような預言者」、モーセのような民を救い、教え、導いていく預言者です。ヨハネは「そうではない」と答えます。ユダヤ人が最も関心があり、確かめたかったメシアでもなく、メシアの前に来るというエリヤでもなく、モーセのように従うべき預言者でもないという。《ではいったい、だれなのです。…あなたは自分を何だと言うのですか》。《わたしは荒れ野で叫ぶ声である》。これがヨハネの答えでした。

このヨハネの3つの否定と一つの肯定の答えがありますが、大切なのは1つめと4つめの答えです。「わたしはメシアではない」、「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」。これはヨハネの信仰告白と言ってよろしいものです。実際、「あなたはどなたですか」と問われたとき、20節にはヨハネは《彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表したとあります。この「公言する」、「言い表す」というのは同じ言葉で、「告白する」という意味です。ヨハネは「わたしはメシアではない」と告白します。「わたしは何々である」という言い方は、ヨハネ福音書では繰り返しイエスさまが「わたしは何々である」と語っておられます。それは出エジプト記3章で、シナイ山で神さまがモーセにご自身を現わされてとき、「わたしはあるというものだ」と言われたことにつながっていて、神の臨在をあらわします。イエスさまは「わたしは何々である」と言われてご自身が神であること、神の臨在を告げたのであります。ヨハネはここで「わたしは何々である」と同じ表現ですが、「わたしはメシアではない」と否定する形で告白します。メシアなるお方は、別におられる。わたしではない。わたしは今こうして実際にユダヤの荒れ野でそのメシアを指し示しながら叫んでいる声である。このように告白します。ヨハネは声で、言葉で、イエスさまを指し示します。すでにあなたがたの中には、あなた方の知らない方がおられる。イエスさまはあなたがたの中においでになっています。あなたがたのところに来られています。あなたがたは半信半疑でわたしがメシアかどうかを尋ねに来たのでありましょうけれども、あなたがたは知らないでしょうが、メシアはあなたがたの中においでになっています。わたしは荒れ野に叫ぶ声なのです。メシアを告白する、指し示す声なのです。

 ヨハネは荒れ野でバプテスマを授けていましたから、イザヤ書の御言葉を自分に重ねて語ることができました。わたしたちは荒れ野にいるわけではありません。しかし同じように声を発します。それはイエスはメシアである、救い主であられるという告白の声です。《あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる》と救い主イエスさまを伝道する声です。「あなたがたの知らない方がおられる」というのは、「立っておられる」ということです。救い主は立っておられます。使徒言行録7章でステファノが殉教するとき、聖霊に満たされたステファノは、《天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える》と語りました。イエスさまが立っておられる。待っておられる。迎えてくださる。そういうお方が、あなたがたの中に立っておられる。そのことを語る声なのです。わたしたちは今日も礼拝をささげています。この礼拝は荒れ野で叫ぶ声であります。イエスさまがメシアであり、救い主であることを告白する声です。イエスさまが立って、わたしたちを迎えてくださっているのですという伝道の声です。わたしたちの礼拝の言葉、祈りも、賛美も、説教も、これから祝われる聖餐も見える言葉とも言われますが、荒れ野で叫ぶ声であります。イエスさまを指し示す声、証しする声、告白する声、伝道する声なのです。

(応答の祈りをしてください)

14献金(後日、礼拝に来られた時に献金してください。教会の口座に送金することもできます)

讃美 新聖歌 104YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

15.感謝の祈り 

16.報告

  ①先週集会 礼拝68名(HP・メール・faxの方を含む)

聖書研究祈祷会(牧師のみ)

  ②今週の予定 3日:hi-b.a高校生集会(オンライン)

         5日:聖書研究祈祷会(休会) Ⅰ:14時 Ⅱ:19時30分

         6日:東京聖書学校講義

         7日:東京教区常置委員会・北支区連合祈祷会

8日:ライフライン(8時・テレビ埼玉)

「聖書チャンネル BRIDGE」でも視聴できます。

  ③教会便り ・ユースにお勧め賛美動画「How Great Thou Art」

        ・メールやファックスでの礼拝人数は把握できますが、HPでの人数が把握できませんので、お手数ですがメールで「HPで礼拝しました」と送信してください。

メール pastor@akabanechurch.jp fax 03-3901-8990

        ・先週献金くださった方の献金は、本日の礼拝でささげます

       ・会堂掃除(礼拝後・土曜日):礼拝後は最終聖日礼拝後に行います。土曜日はしばらくお休みします。       

・本日の礼拝は赤羽教会も属する「ホーリネスの群」(ホ群)の創立記念日(75周年)になります。

・緊急事態宣言となるので、期間中はこれまでのように「合同礼拝」(10時)、「聖書研究祈祷会」も休会とします

・6月6日、創立70周年記念礼拝 説教:深谷春男師

 ④次週予告 ・7時:早朝礼拝

 ・9時 30分:第1礼拝(合同礼拝に合流)

 ・10時00分:合同礼拝 説教)大友師

        ・礼拝以外の集会は休会となります

17.頌栄 新聖歌63(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

18.祝祷  主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同の上、豊かにあるように アーメン

日本基督教団 赤羽教会
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