日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]2021年5月9日聖日礼拝順序 復活節第6聖日

大友 英樹牧師
2021年5月9日
ヨハネによる福音書 1章29-34節

2021年5月9聖日礼拝順序 復活節第6聖日

【母の日礼拝】

1. 黙祷

2.招詞 詩編1397~8

3.頌栄 60(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

4.新聖歌 174(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

5.詩編交読 詩編985:1~11

6.祈り

7.讃美歌 510(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

8.主の祈り

9.使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。

我は聖霊を信ず。

聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン

10.ワーシップソング 君は愛されるため生まれた(YouTubeで検索してください)

11.教会聖句 Ⅱコリント5章18

12.聖書 ヨハネ福音書1:29~34

13.説教 『神の小羊』(声に出して朗読してください)  

  ヨハネによる福音書は《初めに言があった》と語り始めました。これは聖書のはじめ、創世記に「初めに、神は天と地を創造された」と天地創造を語り始めるところで「初めに」とあることと結びついています。創世記は天地創造を語るわけですが、ヨハネの福音書は、私たち人間を新しく造りかえるという新しい霊的な創造の御業を語り始めます。それがイエス・キリストの御業であるということです。イエスさまは新しい創造の御業をなされるお方であるということで、創世記での7日間の天地創造の御業になぞらえるようにして、イエスさまが30歳ぐらいのときに公の生涯に入られるときのはじめの1週間について、1日目、2日目というように7日間を数えています。先週は第1日目として、1章19節からバプテスマのヨハネが「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」として、イエスさまを指し示し、証しする声であり、メシアなるお方があなた方の中に立っておられると語ったところでありました。今日の29節からは第2日目として、バプテスマのヨハネが、「見よ、神の小羊」と実際にイエスさまを指し示すところになります。《その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」。

 ヨハネはイエスさまを指し示します。16世紀の絵画にイーセンハイムの祭壇画という絵画があります。そこには十字架にかかられるイエスさまを真ん中にして、左に母マリア、右にバプテスマのヨハネが描かれています。イエスさまが十字架にかかられたときには、ヨハネは殺されていましたから、それはフィクションではありますが、ヨハネがイエスさまを指さしている印象的な絵画です。ヨハネはその絵画のように、「見よ」とイエスさまを指し示す者です。そこで重要なことは、ヨハネがどのようなお方としてイエスさまを指し示しているかということです。わたしたちクリスチャンも、ヨハネと同じようにイエスさまを指し示す者であります。ではどのように指し示したらよいのでありましょうか。バプテスマのヨハネの指し示していること、どのようなお方としてイエスさまを指し示しているのかということを学びたいと思います。そこで二つのことを取り上げたいと思います。

 まず第1に、イエスさまというお方は、聖霊が宿っておられるお方であります。32節《そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た」。》。他の福音書と突き合わせてみますと、ヨハネがヨルダン川で人々に悔い改めのバプテスマを授けていました。多くの人々がヨハネのところに来て、「わたしはどうしたらよいでしょうか」と問いながら、バプテスマを受けていました。そこにイエスさまがおいでになります。ヨハネは「わたしこそがあなたからバプテスマを受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか」と躊躇しますが、イエスさまは「今は止めないでほしい、正しいことをすべて行うことは、我々にふさわしいことことです」と言って、ヨハネからバプテスマを受けることになります。罪をほかにして、イエスさまはわたしたちとと同じ人間となられたのですから、罪を悔い改める必要はありませんし、ましてやバプテスマを受ける必要はありません。しかしイエスさまは「それは正しいことだ」と言われます。イエスさまはバプテスマを受けることで、罪人であるわたしたちと一体となってくださって、わたしたちの救い主メシアとして立ってくださったのであります。イエスさまのバプテスマは、公の生涯に入られて、ご自身がメシアであられることを明らかにされたということができるでありまましょう。

 そしてイエスさまがバプテスマを受けられたとき、何が起こったでしょうか。マタイ福音書には《イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった》。神の霊、聖霊が鳩のように降った。ルカ福音書では《聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た》とあります。聖霊は鳩のように、目に見える姿で降った。鳩が舞い降りてくる姿というものに、聖霊の注ぎのイメージを重ねたということであります。ヨハネはそのときの様子を、《そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た」》。今日読みました聖書箇所には、何度か「見る」ということが出てきました。わたしたちの聖書では、いずれも「見よ」、「見た」と訳されています。しかし32節に《わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た》とあるのは、ほかのの「見よ」、「見た」とは違う言葉が使われています。例えば1:14《言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた》の「イエスさまの神の独り子としての栄光を見た」と語りますが、これは普通に見えることではなくて、「普通では見えない、わからない、信仰の目をもって見る。神さまの世界を、神さまを御業を見る」というそう意味です。イエスさまがヨハネのところに来たのは、誰もが見ることができました。誰もがイエスさまが洗礼を受けたことを見ることはできました。しかし聖霊が鳩のように降ったのは、人間の肉眼では見ることができません。信仰が与えられなければ見ることができない。信仰の目でしか見ることができない。ヨハネはそれを見た。聖霊がイエスさまに鳩が舞い降りるように降った。聖霊が注がれる。聖霊が宿る。それは旧約聖書では油が注がれるということでもありました。それは王や祭司、そして預言者に注がれるものです。まさにイエスさまが鳩のように聖霊が注がれて、メシアとして、王として立てられた。ヨハネはイエスさまは聖霊がお方であり、メシア、救い主、王であられる。そのお方をわたしは見たと証しします。一つめはイエスさまは聖霊が宿っておられるお方、メシアであり、王なるお方であります。

 第2に、イエスさまは世の罪を取り除く神の小羊であります。29節《ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」》。ヨハネはこの前のところで、「あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる」と語っていました。さらに今日のところを読みますと、31節と33節に《わたしはこの方を知らなかった》と繰り返されています。しかも「わたしは」と強調しています。今日の聖書箇所では、他のところと合わせると、ヨハネは5回「わたし」は強調しています。その中でも不思議に思うのは、31節と33節の《わたしはこの方を知らなかった》という強調です。

イエスさまの母マリアは、ヨハネの母エリザベトと親類でした。ルカ福音書にはマリアがエリザベトを訪ねたという場面もあります。そうするとイエスさまとヨハネは親類ということになります。その親類も近いか遠いかはありますが、親類であることは変わりありません。ヨハネはイエスさまとそういう親類関係にあるということを知らないと言っているのではないと思います。ヨハネは強調して、「本当にわたしは知らなかった」と言っているわけですから、わたしの後から来られる方がどなたなのか。どういうお方なのか。聖霊が鳩のように注がれて、聖霊によるバプテスマを授ける方がどなたのか。「わたしは知らなかった」と言っているわけです。しかしヨハネが語るのは、《わたしはこの方を知らなかった》、イエスさまがそのお方だと知らなかった。けれども「今、わたしはそのお方を知っています」ということです。先ほど「見る」という言葉がいくつかあって、32節の「見る」というのは、信仰の目をもって見る、神さまの御業を見るということだと確認しました。その他の「見る」というのは、この肉眼で、わたしの前にいるお方を見ているということです。ヨハネは霊の目をもって、信仰の目をもって、神さまの御業を見た。聖霊が鳩のようにこのお方に降るのを見た。わたしはそれを見るまでは知らなかったけれども、確かにこのお方が、イエスさまがメシア、救い主です。イエスさまがわたしの後から来られるお方であり、あなたがたの中におられる知らないお方であり、神の子であります。そのヨハネの証しが34節になります。《わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである》。

この神の子、聖霊が鳩のように注がれて、聖霊が宿り、王として、メシアとして立てられたお方、ヨハネはそのようなイエスさまを《見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ》と指し示します。わたしはこれまで知らなかった。わからなかった。誰がわたしの後から来られるメシアなのか、救い主なのか知らなかった。聖霊によるバプテスマを授けるというけれども、それはどういうことなのか、わたしは知らなかった。しかしイエスさまがヨハネからバプテスマを受けられて、聖霊が鳩のように注がれたとき、ヨハネの信仰の目にははっきりと見えたのです。イエスさまが、世の罪を取り除く神の小羊である。イザヤ書53章が語るやがて現れる苦難のメシアと結ばれます。そこには《屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。捕らえら、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを》とあります。

イエスさまは過越の小羊として、ただ一度、十字架に死なれて、世の罪を取り除く、全人類の罪を贖いとるメシア、救い主であります。その方をわたしは知らなかったけれども、今、知りました。わたしはこの方がメシアとして、世の罪を取り除く神の小羊であると証しします。ヨハネはそのようにイエスさまを指し示します。

 わたしたちはどのようなお方としてイエスさまを指し示すのでしょうか。聖霊が注がれて、イエスさまはメシア、王であられるお方です。その方がイザヤの預言の成就として、十字架に死なれて世の罪を取り除く神の小羊であります。 (応答の祈りをしてください)

14献金(後日、礼拝に来られた時に献金してください。教会の口座に送金することもできます)

讃美 新聖歌 1(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

15.感謝の祈り 

16.報告

  ①先週集会 礼拝52名(HP・メール・faxの方を含む)

聖書研究祈祷会(休会)

  ②今週の予定 10日:hi-b.a高校生集会(オンライン)、ホ群教師会

         11日:ホ群常任委員会

         12日:聖書研究祈祷会(休会) Ⅰ:14時 Ⅱ:19時30分

         13日:東京聖書学校講義、KGK池袋ブロック聖書研究会

         14日:リバイバル祈禱会(牧師のみ)

15日:ライフライン(8時・テレビ埼玉)

「聖書チャンネル BRIDGE」でも視聴できます。

  ③教会便り ・ユースにお勧め賛美動画「How Great Thou Art」

        ・メールやファックスでの礼拝人数は把握できますが、HPでの人数が把握できませんので、お手数ですがメールで「HPで礼拝しました」と送信してください。

メール pastor@akabanechurch.jp fax 03-3901-8990

        ・先週献金くださった方の献金は、本日の礼拝でささげます

       ・会堂掃除(礼拝後・土曜日):礼拝後は最終聖日礼拝後に行います。土曜日はしばらくお休みします。       

・緊急事態宣言となるので、期間中はこれまでのように「合同礼拝」(10時)、「聖書研究祈祷会」も休会とします

・6月6日、創立70周年記念礼拝 説教:深谷春男師

・教会総会公告

  5月23日(日) 議決権行使書による書面開催

   議題:書面決議開催、2020年度諸報告、2021年度計画・責任役員選挙

   2021年5月9日         総会議長 大友英樹

 ④次週予告 ・7時:早朝礼拝

 ・9時 30分:第1礼拝(合同礼拝に合流)

 ・10時00分:合同礼拝 説教)大友師

        ・礼拝以外の集会は休会となります

17.頌栄 新聖歌63(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

18.祝祷  主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同の上、豊かにあるように アーメン

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