日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]2021年6月13日聖日礼拝順序 聖霊降臨節第4聖日

岡田朋記協力教師
2021年6月13日
Iヨハネ 1章1-10節

202113聖日礼拝順序 聖霊降臨節聖日

【花の日】

1. 黙祷

2.招詞 ヨハネ114

3.頌栄 60(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

4.新聖歌 141(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

5.詩編交読 詩編119:129~136

6.祈り

7.讃美歌 35(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

8.主の祈り

9.使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。

我は聖霊を信ず。

聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン

10.ワーシップソング わが魂の羊飼い(YouTubeで検索してください)

11.教会聖句 Ⅱコリント5章18

12.聖書 Ⅰヨハネ1:1~10

13.説教 『聞き、見、手で触れた命の言』(声に出して朗読してください)  

 主のみ名があがめられますように。

 協力教師の岡田朋記です。普段は、月の第一聖日の第一礼拝で、子どもメッセージと説教を担当していますが、緊急事態宣言の発出で、第一礼拝・第二礼拝が合同となることが続き、今日久しぶりに説教を担当することになりました、

 今日は、新約聖書ヨハネの手紙一を、ともに開きたいと思います。現在、主任牧師の大友先生が、ヨハネによる福音書を順に説教で講解してくださっていますので、関連する書として取り上げたいと思います。

 今日のこの説教では、二つのことに言及したいと思います。まず一つは、この手紙の著者であるヨハネが強調したことを通して、われわれ、そして教会は、何を中心とし、何のために存在するかということ。二つ目は、その一つ目の目的を達成するために、どのようなプロセスを経る必要があるか、ということです。

 では、一つ目、われわれ、そして教会は、何を中心とし、何のために存在するかということ。今日の聖書箇所の前半部分、ヨハネの手紙一の冒頭、最初の段落を見てみましょう。

 ヨハネの手紙一は、この手紙が書かれた当時の体裁とは少し違う形で始まっています。今から約二千年前の地中海世界では、手紙の書き出しは、誰から誰の手紙か、つまり、差出人と受取人を明示して、手紙を始めていました。しかしながらこのヨハネの手紙一は、その体裁を取っていません。むしろ、先日大友先生が説教で語ってくださった、ヨハネによる福音書1章の冒頭部分と重なる内容から始まっています。そして、その内容は、旧約聖書の創世記の冒頭、神がこの世界をどのように創造したのか、ということともつながっています。

 ヨハネの手紙一の冒頭を見てみましょう。

「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの、すなわち、命の言について。――

この命は現れました。御父と共にあったが、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見て、あなたがたに証しし、告げ知らせるのです。――」

この手紙の著者ヨハネは、この手紙の主題が何かを、書き出しの部分で明らかにしています。それは、「命の言」であるということです。…「命の言」、ヨハネ自身よりも、受取人のあなたがたよりも大切なもの。私たちは、この「命の言」を見つめなければならない。なくてはならない存在として、私たちのうちに、第一のものとして置かなければならない。ヨハネのそんな気持ちが、手紙の冒頭部分にあらわれているようです。

 さて、この「命の言」とは、いったいどのようなものなのでしょうか。ヨハネは言います。「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」。この世界が存在する前から、初めからあったもの。それは同時に、自分たちが生きている、その時間、瞬間にも存在していたと、ヨハネは言います。消えてなくなったものではなく、時間を通して、歴史を通して存在していたもの。そしてその「命の言」は、私たちが聞いたものであった、とヨハネは言うのです。しかも、ヨハネは、続けてこのように言います。「目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」。ヨハネの目の前に、目に見える形で存在し、ヨハネ自身それをよく、一部始終目撃し、さらに、手で触れたというのです。

 2節から4節

「この命は現れました。御父と共にあったが、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見て、あなたがたに証しし、告げ知らせるのです。――私たちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせるのは、あなたがたも、私たちとの交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。私たちがこれらのことを書くのは、私たちの喜びが満ち溢れるようになるためです。」

ヨハネは言います。初めからあったものである、この「命の言」は、目に見える形で現れ、ヨハネとその周辺にいた複数の人物は、ともにそれを見たのだ、と。そして、ヨハネは続けます。私たちが見たものを、私ヨハネはあなたがたに証しし、告げ知らせるのだと。そして、この手紙の目的が述べられます。「あなたがたも、私たちとの交わりを持つようになるためであり、それは御父と御子イエス・キリストとの交わりであって、私たちの喜びが満ち溢れるようになるためである」ということです。

 証しし、告げ知らせる。ヨハネのこの姿勢は、キリスト者すべてが、世にあって生きる姿勢です。われわれもまた、証しし、告げ知らせる。この「命の言」、「永遠の命」とはどのような存在であり、何であるかを。そしてこのことを知らない多くの人が、交わりを持つようになるために…それも、御父と御子イエス・キリストとの交わりを。つまり、この世の、いつ切れてしまうとも、壊れてしまうとも分からない、不安定な人と人との関係ではなく、父と子という、自分も、また周囲も決して否定することができない、また経つことができない関係性の中に招き入れるということなのです。それは、「神の子とされる」ことです。御子であるイエス様が、「私の愛する子」と父なる神様から呼ばれたあの父と子の関係に、われわれも招き入れられたように、証しと告げ知らせによって、我々の周囲の人々を、「神の愛する子」として招き入れることなのです。ここに、われわれが、主の群れ、教会が、この世にある意味があります。証しし、告げ知らせる。それは、われわれの周りの人々を、神の子として、我々の交わりに招き入れることなのです。そして4節でヨハネが言うように、それは、われわれの喜びが満ちあふれることなのです。教会の喜びは、そう、他でもない、父なる神と御子であるイエス様がそうであるように、一人の人が、神の子とされ、交わりに加えられることにあるのです。

 今日の説教の二つ目のポイント。それは、これまで述べてきた、一つ目の目的、つまり、人が神の子とされ、交わりに加えられるためには、どのようなプロセスを経る必要があるか、ということです。今日の聖書箇所、1章後半を見てみましょう。

 5節以下で印象的なのは、対比です。5節、光と闇、6節、偽りと真理、7節、罪と清め、8節、欺きと真理。つまり、この手紙の著者ヨハネが述べているのは、われわれの生き方には、明確な、2つの選択肢しかないということです。「半分が光で、半分が闇」というのではなく、「偽りと真理が混ざった状態」でもない。「罪の部分と清められた部分が同時に存在している」のでもなく、「欺きつつ真理を語る」のでも、決してないということです。ヨハネは言います。ヨハネは、またヨハネが「私たち」と書く、ヨハネの周辺の人々は、知ったのだと。この「命の言」が現れ、私たちが聞き、見、手で触れて以来、また、5節「私たちがイエスから聞いて」以来、私たちは、光か闇か、偽りか真理か、罪か清めか、欺きか真理か、属しているのはどちらか一つだけなのだ、と。そしてヨハネは、このことを、この手紙の受取人、そしてこの場にいるわれわれにも、この手紙を通して語るのです。

 ヨハネは、それをどのようにして知ったのか。それは、「命の言」がこの世に、聞き、見、手で触れることができるようなかたちで現れ…つまり、神の子であるイエス様が、肉をもって、受肉されてお生まれになったからです。光であり、真理であり、清めることができる方である神が…光と闇とが、偽りと真理とが、罪と清めとが、欺きと真理とが入り交じるこの世に現れたことによって、完全にそれらを、明確に対立するものとして分けてくださった。つまり、全き光であり、真理であり、清めの神が、ヨハネの目の前に現れたからです。ヨハネは、肉をもって生まれた神、イエス様を、その言葉を聞き、その姿を見、そして、その身体に手で触れたのです。そうして、イエス様が、「命の言」「永遠の命」であることを知ったのです。

 ヨハネは知りました。7節、私も、私たちも、光の中を歩むことができる。互いに交わり、神の子とされる交わりもつことができる。それは、御子イエスの地によって、あらゆる罪から清められることです。それは、具体的にどのようなことなのでしょうか。9節「私たちが自分の罪を告白するなら」です。「私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださ」るのです。それは同時に、10節、神を偽り者とすることから、神の交わりに加えられること、つまり神の子とされることです。切っても切れない、決して断つことができない父と子という関係に入れられることです。そしてそれは、神の言葉、つまり、御子であるイエス様を、自分の内に抱くことなのです。

 私たちは、自分の罪を告白することによって、神がその罪を赦し、清めてくださるのです。これこそが、神の子とされるプロセスです。神の交わりに入れられるプロセスなのです。ヨハネは、自らもまた罪を告白し、神に赦され、清められた者として、このことを手紙の受取人に、またこの手紙を読む、この場にいるわれわれに、このことを説くのです。われわれもまた、自分の罪を告白し、神に赦され、清められて、交わりに加えられるように、祈りたいと思います。

 祈りを献げましょう。

 天の父なる神様。私たちは、今、それぞれ、自分の罪を告白します。どうか御子イエス様が十字架で流された血によって、私たちの罪を赦し、清めてください。そして、私たちを、あなたと御子イエス様がそうであったように、父と子の交わりに招き入れてください。聞き、見、手で触れることができる「命の言」が、私たちの内におられますように。そして、ここにいるわれわれが、私たちの周りにいる人々を、この交わりに招き入れることができるよう、私たちを証しと告げ知らせの働きに加えさせてください。われわれが、一人の人がこの神の交わりに加えられることを、我々の喜びとすることができますように。私たちのために、血を流された主イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン。(応答の祈りをしてください)

14献金(後日、礼拝に来られた時に献金してください。教会の口座に送金することもできます)

讃美 新聖歌 379YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

15.感謝の祈り 

16.報告

  ①先週集会 礼拝64名(HP・メール・faxの方を含む)

聖書研究祈祷会(牧師のみ)

  ②今週の予定 14日:hi-b.a高校生集会(オンライン)

         15日:教区常置委員会

16日聖書研究祈祷会(休会) Ⅰ:14時 Ⅱ:19時30分

         17日:東京聖書学校講義

         12日:ライフライン(8時・テレビ埼玉)

「聖書チャンネル BRIDGE」でも視聴できます。

  ③教会便り ・ユースにお勧め賛美動画「How Great Thou Art」

        ・メールやファックスでの礼拝人数は把握できますが、HPでの人数が把握できませんので、お手数ですがメールで「HPで礼拝しました」と送信してください。

メール pastor@akabanechurch.jp fax 03-3901-8990

        ・先週献金くださった方の献金は、本日の礼拝でささげます

       ・会堂掃除(礼拝後・土曜日):礼拝後は最終聖日礼拝後に行います。土曜日はしばらくお休みします。       

・本日の礼拝は赤羽教会も属する「ホーリネスの群」(ホ群)の創立記念日(75周年)になります。

・緊急事態宣言が6月20日に解除された場合、7月から「第1礼拝」「第2礼拝」を再開します。

・先週は「創立70周年記念礼拝」に深谷先生夫妻をお迎えすることができ、感謝のときをもちました。

・先週新しい聖書「聖書協会共同訳」が公用聖書となります。注文された方は、費用を記した封筒にお釣りのないように費用を入れて、教師までお願いします。

 また新たに聖書を希望お方は、教師までお願います。名入れはできませんのでご了承ください。

 ④次週予告 ・7時:早朝礼拝

 ・9時 30分:第1礼拝(合同礼拝に合流)

 ・10時00分:合同礼拝 説教)大友師

        ・礼拝以外の集会は休会となります

17.頌栄 新聖歌63(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

18.祝祷  主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同の上、豊かにあるように アーメン

日本基督教団 赤羽教会
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