日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]2021年7月4日聖日礼拝順序 聖霊降臨節第7聖日

大友英樹牧師
2021年7月4日
ヨハネ 3章16-21節

2021聖日礼拝順序 聖霊降臨節聖日

1. 黙祷

2.招詞 詩編23

3.頌栄 60(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

4.新聖歌 50(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

5.詩編交読 詩編143:1~6

6.祈り

7.新聖歌 389(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

8.主の祈り

9.信仰告白

我らは信じかつ告白す。

旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証(あかし)し、福音の真理を示し、教会の拠(よ)るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言(ことば)にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。

主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体(さんみいったい)の神にていましたまふ。御(み)子は我ら罪人(つみびと)の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己(おのれ)を全き犠牲(いけにへ)として神にささげ、我らの贖(あがな)ひとなりたまへり。

神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦(ゆる)して義としたまふ。この変わらざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔(きよ)めて義の果(み)を結ばしめ、その御業(みわざ)を成就したまふ。

教会は主キリストの体(からだ)にして、恵みにより召されたる者の集(つど)ひなり。教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣(の)べ伝え、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行ひ、愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む。

我らはかく信じ、代々(よよ)の聖徒と共に、使徒信条を告白す。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。

我は聖霊を信ず。

聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン

10.ワーシップソング 御名を掲げて(YouTubeで検索してください)

11.教会聖句 Ⅱコリント5章18

12.聖書 ヨハネ3:16~21

13.説教 『神の愛の極み』(声に出して朗読してください)  

 ヨハネ福音書の中で、それ以上に聖書の中で、最も有名な御言葉を挙げよと言われたとき、今日の聖書箇所のヨハネ福音書3章16節の御言葉を挙げる方が多いのではないかと思います。《神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである》。この御言葉は、聖書のメッセージそのものであります。こんなに分厚い聖書でありますが、その中心メッセージは実にシンプルです。《神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された》。神さまはこの世、この世界、この世に生きる私たちすべてを愛してくださっている。その愛の極みは独り子をお与えになるほどであります。

御子をお与えになるというのは、2つのことが含まれます。一つは御子イエスさまを私たちと同じ人間としてこの世にお与えくださった、お生まれくださったということです。神であられるお方が人間となってくださった。これが一つめです。2つめに御子をお与えになったというのは、ささげてくださったということです。《その独り子をお与えになったほどに世を愛された》とありますが、「お与えになった」「愛された」というのは、聖書の言葉では過去一回的なこと、決定的なことをあらわします。御子イエスさまはただ一度お生まれくださり、そしてただ一度ささげてくださいました。御子イエスさまが人となられるということも、ただ一度、神さまが御子イエスさまをおささげくださったことであります。その前も、その後も、神さまが御子イエスさまをおささげくださったことはありません。それ以上に、神さまはただ一度、御子イエスさまをささげられます。それがイエスさまの十字架であります。この十字架にささげられた御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためであります。イエスさまはお生まれくださり、ご自身を十字架におささげくださいました。ある小説家は「限りなく愛は奪う」と言いましたが、神さまの愛は与える愛です。ささげる愛です。

ヨハネはイエスさまとニコデモとの対話の最後に、イエスさまが《モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである》とお語りになったと記しています。それ後に、今日の聖書の箇所は、ヨハネ自身がそれはどういうことなのかをまとめるような形で語っているところです。イエスさまは人の子は挙げられなければならない。十字架にかからなければならないと言われるわけですが、ヨハネはそれは神さまが御子イエスさまを十字架にささげられるほどにこの世を、わたしたちを、わたしを、あなたを愛してくださっています。それは何故なのか。15節と16節には、ほとんど同じ言葉が繰り返されています。「御子を信じる者が永遠の命を得るためである」。永遠の命というのは、ずっと永遠の続いていく命ではなくて、神さまの与えたもう命、神さまが救いたもう命です。そのために、神はその独り子をお与えになるほどに、世を愛されたのであります。

御子イエスさまを与えたもう、ささげたもう、神さまの愛の極みは、一つの決断を求めます。神さまはわたしは御子をささげるほどに、これほどまでに愛しているのだ。ではあなたはどうかなのか。神さまの愛と言いますと、なんでも包み込んでくださる暖かなイメージがあるかもしれません。確かに神さまは世を愛されたとあるように、様々な問題課題があるこの人間の世界を愛してくださいます。包み込んでくださいます。しかし神さまの愛というのは、一方では大きな痛みがあります。長く東京聖書学校で講師をされ、神の痛みの神学をもって世界的な影響を与えた北森先生が表現されるには、神さまの愛というのは、風呂敷で錐を包み込むようなものだと言われます。どんなに包み込んでも、錐が風呂敷を突き破ってきます。それでも神さまの愛包み込む。この錐にあたるのが、独り子をお与えになる愛、十字架にささげる愛です。神さまの愛はただ寛容に包み込んでくださるのではありません。そこに十字架という痛みがあります。ですから、私たちには一つの決断が求められます。《御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである》。御子を信じるか、信じないかという決断です。

私たちがヨハネの福音書を読んでいて教えられることは、生前のイエスさまの姿だけではなくて、今ヨハネが福音書を書いている時代、90年頃のユダヤ人の中でこの福音書を読んでいる人々への語りかけです。御子イエスさまを信じないか、イエスさまを信じようではないか、信じるのか、信じないのか、はっきりと決断しようではないかと迫っています。ヨハネが福音書を書いている時代は、何度か福音書に出てきますが、イエスさまを信じる者はユダヤの会堂から追放されることになっていました。70年にローマによってエルサレムに神殿が破壊され、人々は散っていきます。ヤムニヤという所でこれからどうしたらいいだろうかと相談がもたれます。それまではエルサレム神殿を中心としたユダヤ教がありました。しかし神殿がなくなってしまします。これからは律法によって、旧約聖書を拠り所として、会堂を中心にしていこうということになります。そのヤムニヤでの集まりで、たいへん重要な祈りの言葉が決められました。それはクリスチャンを指して、「ナザレ人が・・・一瞬にして滅ぼされ、命の書から消されるように」という祈りです。ユダヤ教とクリスチャンは違う。イエスを信じる者を会堂から追放する。そういう取り決めです。ユダヤの人々が会堂から追放されるということは、その町、その地域の一員でなくなることです。そこに存在していない者とみなされます。しかもクリスチャンはユダヤ教ではありませんということになりますから、それまではローマ帝国の中で公認されていた宗教でありますユダヤ教の一員という扱いでありましたが、クリスチャンはユダヤ教ではありませんとなりますと、その保護もなくなることになります。歴史を振りかえると、ローマ帝国がキリスト教を正式に迫害し始めるのは、この時代です。ユダヤ教がクリスチャンはユダヤ教ではありませんと宣言した時代からはじまります。クリスチャンの中に恐れに念が生じたでありましょう。不安が覆ったことでありましょう。会堂から追放されて、どうやって生きていったらいいのだろう。そっと密かに黙っているのがいいのではないかと考えるでありましょう。イエスさまのことを聞いて、この方こそ聖書が語るメシアではないだろうかと心動かされている求道する者にとっては、なおさらのことであったでありますしょう。そっとしておく。うやむやにしておく。はっきりさせないでおく。そんな時代です。

ヨハネはこの福音書を語るとき、生前のイエスさまの時代、ニコデモはどういうふうになっていったのかを語ります。9章では目が見えなかった青年がどういうふう変えられていったかを語ります。はじめはイエスさまが誰かは知らないと言う。そしてやがてその人は預言者です言う。両親は会堂から追放されることを恐れていたので、息子は大人ですから彼に聞いてくださいと答えを避ける。もう一度呼ばれた青年は、イエスさまは神のもとから来られた方です言う。最後に外に追い出されて、つまり会堂から追い出されて、そこでイエスさまが来てくださいます。「人の子を信じるか」、「その方を信じたいのです」。「あなたと話しているのがその人だ」と会話が続いて、最後に青年が「主よ、信じます」とイエスさまの前にひれ伏します。こうしたことを語りながら、ヨハネは、この福音書を読む者に、あなたはどうなのかと決断を迫ります。《御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである》。イエスさまを信じるか、信じないか。決断を迫ります。

いつ信じるのでしょうか。いつ救われるのでしょうか。17節に《神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである》さらに18節《御子を信じる者は裁かれない。信じない者はすでに裁かれている。神の独り子の名を信じているからである》。ここに語られています「信じる」「信じない」「裁く」「救われる」ということは、すべて今なされることです。今、御子イエスさまを信じるなら、あなたは救われる。永遠の命を得る。今、御子イエスさまを信じないなら、あなたはすでに裁かれている。神の愛の極みであるイエスさまを信じて、永遠の命に生きる喜びがあるでしょうか。今日、神さまが与えてくださったイエスさま信じるなら、永遠の命を得る。今日も、イエスさまを信じ続けるなら、永遠の命を得る。それが聖書の約束です。

(応答の祈りをしてください)

14献金(後日、礼拝に来られた時に献金してください。教会の口座に送金することもできます)

讃美 新聖歌 89YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

15.感謝の祈り 

16.報告

  ①先週集会 礼拝53名(HP・メール・faxの方を含む)

聖書研究祈祷会 12名

  ②今週の予定 5日:教団常議員会・ホ群ユース委員会

         6日:教団常議員会・北支区教師会

         7日:聖書研究祈祷会 Ⅰ:14時 Ⅱ:19時30分

         8日:東京聖書学校定期試験・KGK池袋ブロック集会

         9日:日本ケズィック委員会・リバイバル祈禱会(牧師のみ)

10日:ライフライン(8時・テレビ埼玉)

「聖書チャンネル BRIDGE」でも視聴できます。

  ③教会便り ・ユースにお勧め賛美動画「How Great Thou Art」

        ・メールやファックスでの礼拝人数は把握できますが、HPでの人数が把握できませんので、お手数ですがメールで「HPで礼拝しました」と送信してください。

メール pastor@akabanechurch.jp fax 03-3901-8990

        ・先週献金くださった方の献金は、本日の礼拝でささげます

       ・会堂掃除(礼拝後・土曜日):礼拝後は最終聖日礼拝後に行います。土曜日はしばらくお休みします。       

・本日から「早朝礼拝」(7時)・「第1礼拝」(9時30分)・「第2礼拝」(10時45分)となります。今後のことは、教会役員会で審議予定です。

・6/27(日)、「ホ群弾圧記念礼拝」では、79年前のホーリネス教会への国家の弾圧を覚えて礼拝をささげ、午後はオンラインでの「弾圧記念聖会」が開かれました。礼拝堂での参加者は12名でした。

・本日、レターケースに「夏期感謝献金袋」を配布しました。上半期の恵みに感謝しておささげいたしましょう。目標65万円

 ④次週予告 ・7時:早朝礼拝

 ・9時 30分:第1礼拝 説教)大友師

 ・10時45分:第2礼拝 説教)大友師

        ・礼拝以外の集会は休会となります

17.頌栄 新聖歌63(YouTubeまたは「MP3&詞 聖歌・讃美歌」で検索してください)

18.祝祷  主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同の上、豊かにあるように アーメン

日本基督教団 赤羽教会
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