日本キリスト教団 赤羽教会

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[礼拝説教]イエスとは誰か ~初めての方向け~

大友英樹牧師
2013年7月7日
マタイ16:13-20

 イエス様が、弟子たちと共にフィリポ・カイサリア地方を訪れた時のことです。イエス様は弟子たちにひとつの質問をいたしました。13節《人々は、人の子のことを何者だと言っているか》。福音書にはイエス様がご自身のことを指して「人の子」と語っています。「人の子」というのは、人間という意味もありますが、旧約聖書のダニエル書7章には雲に乗ってやってくるメシア、救い主として描かれています。

 

 イエス様はこのダニエル書が語っているようなメシア、救い主として御自身のことを人の子と呼ばれたのであります。マタイ福音書はユダヤ人のために書かれた福音書であると言われていますから、ここでイエス様が人の子と言われますと、ダニエル書のことがすぐにわかりました。イエス様はあのダニエル書に預言されているメシア、救い主なのだということがピンときたと思います。弟子たちも同じようにイエス様から人の子と言われたときには、同じようであったと思います。私たちが人の子と聞いても、ダニエル書を思い起こすとか、メシアを指しているということはなかなか難しいと思います。聖書をよく読んでいれば思い出すかもしれませんが、ふつうはなかなかそういうわけにはいきません。同じようにマルコやルカ福音書を読みますと、ユダヤ人でない人々のために書かれた福音書でありましたので、イエス様の質問をわかりやすく記しています。「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」。イエス様は自分のことを尋ねたのです。

 この質問をするまでのイエス様は、福音書に記されているように、神の国の福音の宣べ伝えて、教えを説き、病を癒し、奇跡を行ったりして、多くの人々に知れ渡っていました。そういう働きからしばらくフィリポ・カイサリア地方に退いてきました。そこはガリラヤ湖の北、ヘルモン山の麓にある泉が湧く地方でした。弟子たちもイエス様と共に働いてきましたから、しばらく静かなところに行くことでほっとしたことだと思います。そういう静かなところに退いたとき、イエス様は《人々は、人の子のことを何者だと言っているか》という質問をしました。

 弟子たちは答えました。14節に《弟子たちは言った。「洗礼者ヨハネだ」という人も、「エリヤ」だと言う人もいます。ほかに、「エレミヤだ」とか、「預言者の一人だ」と言う人もいます》。洗礼者ヨハネはイエス様に先立って、悔い改めの洗礼を授けていました。ヨハネは来るべきお方、イエス様を指し示す働きをしました。このときすでにヨハネは殺されてしまっていました。ですからイエス様はこのヨハネの生れ変わりだということです。エリヤというのは紀元前9世紀に活躍した預言者で、旧約聖書の列王記上に描かれています。カルメル山でバアルという偶像に仕える預言者と戦った主なる神さまこそがまことの神あまであることを証しした預言者でした。そして旧約聖書のマラキ書にはメシア、救い主がやってくる前にエリヤが再来すると預言されていました。ですからイエス様はマラキ書が預言するエリヤではないかというのです。エレミヤも預言者で紀元前6世紀ごろに活躍しました。バビロン捕囚となるイスラエルの民に、70年経てば解放される。そして神さまが新しい契約を与えられると預言しました。さらにこれまでの活躍した預言者の一人ではないかとも言われていました。

 さらにイエス様は質問をします。15節《イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だというのか」。これまでイエス様と共に歩んできた弟子たちに、人々はそういっているけれども、あなたがたはどうなのかと質問したのです。洗礼者ヨハネだ、エリヤだ、エレミヤだ、預言者の一人だ。どれもイエス様と関係があるといえばありますから、まったくはずれているわけではありませんでした。しかし的の真ん中にあたった答えではなかったのです。現代に生きる私たちが同じ質問をされたらどのように答えるでしょうか。16節ではすぐにペトロが答えています。《「あなたはメシア、生ける神の子です」》。

 

 このペトロの答えから、わたしたちは3つのことを学びたいと思います。

 まず第1には、イエス様を個人的に受け入れるということです。「あなたがたはどう思うか」と質問されたときに、弟子たちが口をそろえて語ったとは記されていません。ペトロが一人で答えたのです。弟子たちはペトロの答えに賛意を表したではありましょうが、あくまでもペトロは個人的に、「わたしはあなたがメシア、救い主であると信じます」と答えいることを覚えたいと思います。個人的にイエス様をわたしの救い主としてお迎えする。これがペトロの告白でした。

 次に第2には、イエス様を明確に受け入れるということです。ペトロは「あなたはメシア(救い主)、生ける神の子です」と答えました。曖昧な答えではありませんでした。「たぶんメシアであると思います」とか、「神の子かもしれません」とか、というようなはっきりしない、曖昧な答えではありませんでした。このペトロの答えは、「あなたは」ということに強調があります。他の誰でもない、「あなただけが、あなたこそが、メシア、救い主です」とはっきりと告白しています。イエス様がわたしの罪の身代わりに十字架に死んでくださって、罪を赦してくださいました。それゆえに「あなたはメシア、生ける神の子です」とわたしたちも明確にイエス様を告白することが大切です。

 最後に第3に、イエス様を信仰によって受け入れることです。17節をみますと、イエス様はペトロに、《あなたにこのこと現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ》と言われました。ペトロが一生懸命頭で考えたのではなく、弟子として一緒に歩んでいたからでもなくて、ペトロにこのように告白させたのは、イエス様をお送りくださった父なる神さまであると教えておられます。神さまの力によって、恵みによって、告白したのだということです。神さまの力によって、恵みによって何が与えられるのでしょうか。それが信仰であります。自分の知性によってではありません。自分の感情によってではありません。自分の決断によってでもありません。自分の意志によってでもありません。知性も感情も決断を意志も大切です。しかし信仰が先立っているのです。四つの法則というテキストには、昔の汽車になぞらえて、信仰が先頭で、その後ろに知性や感情が繋がっている絵が記されています。神さまからいただいた信仰によってイエス様を受け入れることが大切です。

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